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明治30年(1897年)8月4日、冨永朝堂は福岡県に生まれる。本名良三郎。 大正4年(1915年)、上京し、山崎朝雲に師事。 |

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福岡市は第2次世界大戦末期の昭和20年6月19日午後10時30分ごろから約2時間にわたり、米空軍B29爆撃機約60機による焼い弾攻撃を受け、都心部のほとんどが焦土と化した。その被災状況は、面積約4平方キロメートル、人口約6万人、戸數約1万3千戸に及んだ。 昭和20年8月15日、終戦を迎えて国は全国115都市の戦災復興の急務に鑑み、復興の基本計画を策定するとともに、特別都市計画法を制定した。本市もこれに基づき昭和22年1月22日福岡都市計画復興土地区画整理事業の認可を得て事業に着手した。事業は、混乱した戦後の社会状況のなかで幾多の困難はあったが、関係者の協力を得て着手以来25年の歳月を経て、昭和47年2月22日完了するに至った。ここに事業完成の業績を顕彰し、記念群像を建立する。 |
| 碑文に記されている福岡大空襲の規模については昭和50年に明らかにされた米国防総省の機密文書によれば、爆撃航空機B29の数は、221機と記録されている。 |
