2008年北海道

遊覧船ブルームーン〜函館どっく〜
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元町公園からブルームーン桟橋へ。


フェリーに乗るわけではないが、東日本フェリーふ頭まで乗船する。

乗船客は3人だけ。

青函連絡船記念館摩周丸


青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸が青森にある。

旧青函連絡船「羊蹄丸」が船の科学館にある。

函館山が見える。


標高334m。

牛が寝そべるような外観から臥牛山(がぎゅうざん)とも呼ばれる。

 明治40年(1907年)2月25日、河東碧梧桐は函館を訪れた。

 船がもう着くというので甲板へ出て見ると、夜のほのぼのと明けかかる空に、半日の雪の山が突兀と聳えておる。これが名高い臥牛山ではないかと思う。牛が臥ておるというより、背筋をオッと立てたという方が適切である。


函館どっく


西日が海に映る。

 昭和6年(1931年)6月7日、与謝野寛・晶子夫妻は函館港を出て、花巻温泉へ。

鈴蘭も友もホテルにとどめおき函館港を出づる朝かな

海峡のわがある船へたちまちの崎より送る風あるごとし

海峡の船にまたあり五月より六月となり歸り路となり

「北海遊草」

 昭和6年(1929年)6月15日、荻原井泉水は再び連絡船松前丸で北海道を離れた。

      六月十五日、北海道をうしろにす、再び連絡船松前丸
      にて

青山の白雲となる蝦夷を見かへり

『海潮音』

 昭和8年(1933年)8月17日、高浜虚子は青函連絡船松前丸で函館に渡った。

 函館港を眺めた感じはかなり盛な港であると思ふと同時にどことなく淋しい町であるといふ感じであつた。

   秋風の北海道に來りけり

といふ突嗟の感じであつた。

 上陸すると、雨圃子、龍史等の迎へが見えて大變便宜であつた。

「北海道一見」

 昭和20年(1945年)7月14日・15日、アメリカ海軍艦載機の空襲で青函連絡船は8隻沈没、2隻大破炎上、2隻航行不能、壊滅状態となる。

 昭和63年(1988年)3月13日、青函トンネルを含む海峡線の開業に伴い、青函連絡船は運航を終了。

高速フェリー「ナッチャンWorld」


 平成20年(2008年)2008年5月2日、函館〜青森航路2隻目の高速フェリー就航。

 平成20年(2008年)11月1日、ナッチャンRara・Worldの運航休止予定。

東日本フェリーふ頭


 平成20年(2008年)11月30日、東日本フェリーは青森〜函館航路から撤退予定。

20分の船旅であった。

若松緑地公園へ。

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