提督山本五十六は、明治17年(1884年)、旧長岡藩士の野貞吉の六男に生まれた。高野家は代々儒官と槍術指南役をつとめ、質素倹約の生活を家風とした。 五十六は海軍兵学校にはいり、大正5年、迎えられて旧長岡藩家老・山本家の名跡を継いだ。 海軍次官を経て、連合艦隊司令長官。昭和18年(1943年)太平洋戦争において戦死、元帥の称号をうけた。 生家は戦災で焼失し、後に復元した。
長岡市教育委員会 |
山本元帥は長岡の生んだ最大の偉人であるばかりでなく、明治・大正・昭和の三代に於ける日本の代表的偉人である。偉人は遠い處にあるのでなく、他にあるのでなく、我の中にある。誰モの各個の性質の中にそれぞれ偉人の素質に存している。こゝに来り集まる青少年達よ、大人達よ、この人に學び、この人に倣え。然らば則ち亦偉人となることが出来よう。偉人とは自ら謙虚にして堅忍不抜、自らを人の中に置き、人のために、社會のために、國家のために捧げる人である。これが自らを大に生かす所以である。 元帥は明治十七年四月四日、この地で、舊長岡藩士高野貞吉六男として生れた。時に貞吉五十六歳であった。後年赫々世界歴史上にその偉大さをうたわれた聖将山本元帥その人であった。長岡の歴史、山川、風土が元帥の修養努力と相待って、その人格と地位とを作り上げたのである。 元帥の学んだ阪之上小學校、長岡中學校もこゝから近い。青少年達よ、この偉人に續け。元帥は自ら處すること嚴に他を處すること寛であった。自らを捧げて他を大ならしめる山本精神はこゝで生れたのである。 こゝに我が景仰會が元帥の胸像を安置して、その誕生地を記念し、後進子弟の奮起を待つ所以である。
山本元帥景仰會 |