芭蕉の句碑三 重


冬牡丹千鳥よ雪のほとゝきす

桑名市北寺町に本統寺(HP)という寺がある。


本統寺山門


真宗大谷派東本願寺桑名別院である。

 当桑名別院本願寺は教如上人の開創にて、開基は同上人の息女長姫にして、今を去る382年の慶長元年(1596年)の創立である。

山門を入ると、左手に芭蕉の句碑があった。


冬牡丹千鳥よ雪のほとゝきす

 貞享元年(1684年)10月、芭蕉は木因と本統寺三世の大谷琢恵を訪れている。

桑名の本当寺は、牡丹に戯れ給ふ、一会の句、

冬ぼたん千鳥よ雪の郭公
   はせを

釜たぎる夜半や折々浦千鳥
   木因

『桜下文集』(句商人)

『笈日記』には「古益亭」と前書き、「ちどりか雪の」とある。

芭蕉「野ざらし紀行」跡

冬牡丹句碑

市指定文化財

冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす   はせお

 松尾芭蕉が貞享元年(1684年)「野ざらし紀行」の旅のおり、本統寺で詠んだ句である。本当寺住職大谷琢恵は、古益の俳号をもつ芭蕉と同門の俳人であったので、句会が催されたと思われる。

 句碑は江戸時代に既に建立されていたが、失われていたため、昭和12年に揮毫は大阪俳人の野田別天楼、施主は桑名の俳人小林雨月によって表門に建てられた。しかし、戦災によって境内が灰燼に帰したので、焼け残った句碑は現在地に移された。

   平成8年

桑名市教育委員会

 『諸国翁墳記』に「二鳥塚 勢州桑名駅在 杉夫建 冬ほたん千鳥か雪のほとゝきす はせを」とある。

杉夫は雲裡坊の初号。

野田別天楼の句

蕪汁や八十の翁七十の嫗


「牡丹」と「時鳥」とはともに夏のものである。「冬牡丹」と「千鳥」とはともに冬のものである。……すなはち冬牡丹に對する千鳥の存在は、夏の牡丹に對する時鳥の如き存在である。……といふことは、また、片や雪の千鳥であり、片や月のほとゝぎすである。

 この句、だから、直譯すれば、

 冬牡丹、千鳥。……千鳥こそ雪のほとゝぎすなれ。……

 と、かうしたわけになるのである。

 下手なぬひとりをみるやうな句である。芭蕉でもこんな句を作つた時代があるのである。

久保田万太郎「古句十句」

本統寺本堂


 昭和20年(1945年)7月17日、7月24日、2度にわたる大空襲により桑名本統寺は焼失。

 昭和25年(1950年)、本堂及び諸施設が再建される。

山口誓子は本統寺に芭蕉の句碑を訪ねている。

 それから寺町の本統寺の芭蕉の句碑を見に行く。その寺は東本願寺別院。俗に桑名御坊と云う。

 門を入って左手の池に面して句碑は立っている。

   冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす

 芭蕉がその寺に来たとき、冬の牡丹が咲いていた。雪に咲いていた。牡丹にはほととぎすはつきものだが、ほととぎすは鳴かず、揖斐川の千鳥が鳴いた。その千鳥は「雪のほととぎす」と見立てるとよい、と云うのだ。持って廻った句だ。

 句碑の石は大きな自然石で、その右半分に句を彫り、左半分は空白。

 私はこの空白を残した、贅沢な石の使い方が気に入った。

 昭和十二年の建立で、別天楼の書であるが、「保登々幾須」と書いてある。旧い句碑が亡くなって、それに代る新しい句碑だと云うが、旧い句碑にそんな万葉仮名が書いてあったのか。

『句碑をたずねて』(伊勢・伊賀路)

芭蕉は本統寺から浜の地蔵へ。

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