大垣市指定史跡 |
大垣城は、牛屋川を天然の外濠にとりいれた要害堅固な平城で、天文4年(1535年)宮川安定によって創建されたと伝えられている。 慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では、西軍の本拠となり壮絶な攻防戦が繰り広げられたが、戸田家が入城してからは、歴代藩主と共に天下泰平の世を謳歌した。 先の戦災で惜しくも天主閣を焼失したが、現在城跡一帯は市民の憩いの場として親しまれている。
大垣教育委員会 |
慶長9年 (1604年)、戸田氏鉄は近江膳所藩二代藩主となる。 元和3年 (1617年)、摂津尼崎藩5万石へ移封。 寛永10年(1633年)3月23日、松平定綱が山城淀藩より入るが、伊勢桑名藩へ移封。 寛永12年(1635年)7月28日、戸田氏鉄は尼崎藩から美濃大垣藩10万石に移封。 寛永14年(1637年)、島原の乱に出陣。 慶安4年(1651年)、致仕。 |
俳人戸田如水は大垣藩家老次席。戸田氏鉄の孫。恕水。 俳人高岡斜嶺、近藤如行、宮崎荊口は大垣藩士。 俳人岡田千川は大垣藩士。宮崎荊口の次男。 |
嘉永6年(1853年)5月13日、吉田松陰は江戸に行く途中、桑名から大垣に出る。 |
十三日 晴。巳時、舟今尾に至る。桑名より今尾に至る六里。是れより陸に登り、伸助と別れ、獨り莊・滿と大垣に向ふ。路に二つの渡を經て大垣に出で、同(とも)に一杯を酌みて別る。 |