俳 人

佐久間柳居
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『柳居発句集』

 江戸の旗本で、名は佐久間三郎左衛門長利。前号長水。中川乙由に師事し、麦阿と号す。別号松籟庵。蕗霞窓。後、柳居と改める。

 門人に横田柳几白井鳥酔古川太無小河原雨塘市石庵弄船蓑笠庵梨一、小宮山門瑟がいる。

 袋村(現鴻巣市)の医師川鍋家五代目道淑も号を不易といい、柳居と親交を結んだ俳人。

 享保16年(1731年)、白兎園宗瑞長谷川馬光らと俳諧撰集『五色墨』刊。

 享保17年(1732年)頃、佐久間柳居編『俳諧七部集』成立。

 『俳諧七部集』は「冬の日」、「春の日」「曠野」、「ひさご」、「猿蓑」「炭俵」「続猿蓑」を成立年代順にまとめたもの。

 享保19年(1734年)、2月、太田巴静は江戸に下る。5月まで滞在。柳居を知る。

   巴静に対して

見せはやな屋敷屋敷のいかのほり


 元文2年(1737年)5月、柳居は鳥酔を伴い箱根の塔ノ沢に入湯。

   塔の沢

谷の戸や花柚匂はす仮所帯


 元文2年(1737年)7月、『夏山伏』(百明台西奴、綾川観鷺貫撰)刊。

 元文4年(1739年)、無住の庵を入手して三斛庵とする。

人の住捨し庵をもとめけふより三斛庵と呼かへて賀し侍る時に弥生七日なりけり

囃し残す薺に咲や艸の庵


 元文4年(1739年)8月18日、中川乙由没。

   麦林翁悼

木の実にも驚く風の便かな


 元文5年(1740年)2月、柳居は上方へ旅立つ。6月、柳居は名古屋に立ち寄り、巴雀や巴静と連句会を興行。7月頃、柳居は布袋庵を訪れる。

   文月朔日鴻巣柳几亭

来たはとて松にそよくやけさの秋


 寛保元年(1741年)7月、三斛庵にて秋瓜の剃刀により剃髪。

   薙髪の吟

我髪をけさ手はしめや散柳


 寛保2年(1742年)3月、芭蕉の足跡を辿り、陸奥へ旅立つ。『柳居遊杖集』

 寛保2年(1742年)秋、門人鳥酔の郷里上総地引村に仮寓して両総を行脚。

   地引村白井氏の許にて

松茸の匂ふ山あり鼻の先


 寛保3年(1743年)10月14日、柳居は光明寺で一夜を籠もっている。『あみ陀笠』

光明寺総門


 寛保3年(1743年)11月、芭蕉の五十回忌に『同光忌』(柳居編)自跋。

 延享元年(1744年)、秋瓜名開き。秋瓜は三斛庵に入り、鳥酔は落霞窓に移る。

 延享3年(1746年)、柳居は東海道を上方へ旅立つ。鳥酔は木曽路を辿っておいかける。柳居、麦浪は難波の浮風を訪ねている。8月、鳥酔と京を巡遊。

   都より帰りて

頭陀からは京染の葉や衣くはり


延享5年(1748年)5月30日、63歳で没。

 安永9年(1780年)6月、柳居の三十三回忌追善集『晒布集』(門瑟編)。

 寛政元年(1789年)、『柳居発句集』(門瑟編)刊。

群馬県高崎市の定家神社の芭蕉句碑に柳居の句が刻まれている。


鳩ほとと人は言ふなり閑古鳥   眠柳居士

榛名山番所跡の松露庵句碑に柳居の句が刻まれている。


との神に通夜し申む子規   柳居

銚子飯沼観音の芭蕉句碑に柳居の句が刻まれている。


一つかみ烏のこほす櫻かな   守黒庵柳居

佐久間柳居は川口善光寺で詠んだ句を残している。


   川口善光寺

この寺を極彩色に花の雲

柳居の句

万歳の日和うらなふ鼓かな


あつらへの朝顔咲ぬけさの秋


涅槃会の表具に柳さくら哉


玉川の塵や千鳥の巣こしらへ


小模様に娵菜ハ替て野菊哉


入口の難波は涼し葭すだれ


名月や丸太はしらの添ひ安く


大仏の餅も世並やあやめ草


あらさひし琴に蓋して雪の松


三日月を乗せれはたはむ薄かな


海女の手も抹香くさき十夜哉


明日見よと闇に仕舞ふや梅の花


磨の茶は常磐の色や初しくれ


舟繋く木を陸へかる懸菜哉


今植し竹に客あり夕すゝみ


一つかみ烏のこぼす桜かな

此ほどの元服青しあやめ売

鷺一羽立て見せけりけさの秋

玉眼の達磨忌寒し松の風


くだけずに奥山椿ながれけり


一手つゝ島をまわすや青嵐


朝がほやみな同音に口をあく

姨すてやせめては秋の日の光り


紅梅に青く横たふ筧哉


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