松村篁雨

『北越奥羽紀行』(篁雨編)


 安永6年(1777年)6月1日、鴻巣宿の松村篁雨が川田谷村の島村嵐二と北越から奥羽にかけて旅をした時の紀行。8月25日、石橋宿に帰るところで紀行文は終わっている。

しなさかるこし(の)七ふしきハ見まほしと思ふ事やゝ年あり。爰に詞友□ける兎岡舎のあるし嵐二、こし路より奥羽の旅にともなハん事をすゝむ。かねてさそふ水あらはと思ふものから、ひたすらにおもひ立事にそありける。然るに嵐子ハ常になやめる事ありて、上毛艸津にゆあミし、それより道をともにセんと契りて、日には十日夜にハ九夜先たちてはふたつのワかれをなしぬ。程経て旅の調度あらましものして、我住里を立出る頃ハ、水無月の一ト日なりけり。腰に旅硯の筆ハあれと、橋に影する青雲の求めもなく、ひなくもりうすひの関ハ越れとも、繻をすてゝ名をあらハす才もなし。たゝ雲水のあくにまかセて名に聞し古き跡をたつね、所々の俳君子にま見へて一句を乞ひ、そこにたうとき神仏にぬかつき侍るハ、納経のうはそくにひとしかるへし

越の山へ旅立もよし氷室の日
松蘿堂
丁酉 夏
 篁雨

   程遠き北越の山中に嘯かん事をおもひ立て諸
   風子へ留別

千里行ワかれの袖や虎か雨

   東市老人ハ獅子門に名高き老叟にして、蕉門に
   遊ふ人その名を聞さるハなし

夏菊や隠れ家の名も世に薫り
草津
 さかし出されて老のうくひす
 東市

暑き日やますます出温泉の沸加減

   とし頃名に聞し桃路雅伯にま見へて、風談の間
   もなく我ハこし路へ袂をわかちぬ

面白ひものハ短し夏の月

   途中吟

昼皃や沸て流るゝ溝の縁

先駆を我も我もと清水かな

渋湯の雨梅子にやとりて
渋湯村
葉桜のかけより嬉し旅やとり
 忠七

高田 梅至叟をたつねて
      高田
北からも名の薫りけり越の風
       山本喜右衛門



廿日

八雲たツ出雲崎なる以南風叟に玉くしけふたゝひ
まみえ侍りて爰に故人の情を尽す

爰以南亭に一夜舎りて立出る

二千里の内めくり来て夏の月
出雲崎 橘新兵衛
むかし語れハ明やすき夜や
          以南



十一日

      秋のはしめ一葉の舟に棹して、沼垂の津に名高
      き以文詞宗をたつね侍るに、彼安道かおもかけ
      もあれは

漕て来て問へは興有月の宵

 露もへたてす汲む酒の友
   以文

袴着ぬ腰に扇も忘られて
   せり
  西福寺
 都ちか間ハ在も町並
   一爾
 真野九介
ひゝ焼もゴスてまがいの皿茶碗
   雪朝

 いツても仲人口の客ふり
   嵐二

看板に指南所と武田流
   有興坊



      拝三祖塔

十二日

   手向は二ツ星より三祖塔

      貧しきに居てたのしむ予か楊柳舎のもの静かな
      るに、東武鴻巣なる嵐二・篁雨の両風士、当国
      の七ふしき順見ある序なれハと、草扉を音信ら
      れしか、朋遠方より来て楽しむとハ此時の幸ひ
      なるへし

掛乞も来ぬ隠れ家や盆節季
   以文

 行脚の手帳記す月かけ
   篁雨

初雁の声に空さへ静まりて
   一爾

沼垂 龍雲寺境内三祖塔   以文建立

   銘曰

芭蕉風雅 獅子相伝 里紅勲績
家宝獲全 三世履跡 四方仰賢
自然妙契 不朽遺篇 莫焉厥道
仏頂毒挙 栴虚栴□ 与物推遷
夜吟月下 夙咏花辺 恋々継志
粛々啓筵 塔銘祥寿 名鏤永年
倬兮懿徳 輝於長天 明和九年壬辰

 現龍雲音大入叟敬題

越後の国蒲原郡新潟の津ハ、北越第一の湊にして、町小路建つゝき商家軒をならふ。小路小路の間へ小川を掘入、家産売買のたよりとす。南ハ信濃川を境、西ハ弥彦・久上の山高く、北ハ蒼海遙に下佐渡を海程四十五里に見る。東の沖に青島見ゆ。諸国入津の船帆柱の林をなす。荷を運ふ小船直ニ小路小路棹をめくらす。

漸空晴風直りて余所ハ魂祭ル舟玉祭商人船に便船して、追風まかせて舟を出す。青島を左に見て海上五十里、十五日朝より翌十六日巳の刻坂田の湊に着ぬ

問とわれ月にむかしを見る如く
   有興坊

汲むハ気儘と古酒のもてなし
   嵐二

また残る暑さにさツと水打て
   篁雨



出羽国飽海郡酒田の湊ハ、往古亀か崎の城にして、今も鶴か岡の□家より是を守塀櫓纔に残れり。領知(地)貢米を爰に集めて諸国の廻船に驚く軒々数千軒建つゝき、妓家・客舎軒をあらそひ、三味線のきぬたに月を翫ひ、琴の八ツ橋に杜若を手折る。誠に此一州の大都会なり。坤に鳥海の峯近く聳へて白雲に巓きを見セす、巽に月山・湯殿・羽黒の三山夏も雪を隠し、西ハ金峯・湯沢・飽海・朝日の嶽々峨々として夕日をかくす。北ハ海上漫々として果なし。此山々の内を庄内と云。大河流れて湊に落。是即最上川なり。爰より蚶潟へ十二里、鶴岡へ七り、羽黒へ十一里、此内四方平地の熟田なり。十九日象潟へ趣く。大師崎の嶮岨を経て蚶潟に至り船にて一見す。景色扶桑の第一、爰に贅セす

      秋歟

   蚶潟や月の上漕舟もよし



廿六日

      廿六日酒田市中庵を出て、羽黒山に登る。此間
      十一里

   秋の雲や羽黒の山の白幣

廿七日

      その日清川迄下りて宿、爰に苅川の町の入口に
      阿古屋の松の旧跡あり

      清川より最上川を舟ニて上る。此間道なし。白
      糸滝仙人堂有

白糸の滝


廿八日

   山姫の手くりを見たり滝の糸

廿九日

      畑と言在所に泊。畑より尾花沢迄八り。此清水
      之所ニて酒肆伊藤やか見セにて

   秋なからまつ立寄らん清水村

晦日

      尾花沢に一宿して

   うかれ来て舎ろ燭蝶や尾花沢

      尾花沢を立て大沼山へたとる。左沢の町に舎る。
      折から八朔なれハ

朔日

   八朔や草鞋ハまた去年の藁

      左沢町羽柴玄倫善不医仙を尋ねて

   本草を問ん分来し花野原



   波揚松

波謄てひく時松のしくれ哉
   希因

一手つゝ島をまわすや青嵐
   柳居

うき島や空にも遊ふ凧
   麦浪

蜻蛉やをのか姿も島の数
   鳥酔

数減らて戻る恵ミや池の雁
   也有



三日

      山の辺より山形ヘ出ル。小町塚左の方ニ有。山
      形の町修験新蔵にて源義経の笈を見る。誠に千
      歳の筐を見て感慨を記す

   哀れさや薄をくゝる奥下り

      山水奇石の工ミなる仮山の美景を見て、彼縮地
      の術に仙境に入かごとし

   縮め得て秋なき山や坪の内

最上山寺宝珠山立石寺阿所川院は、清和天皇の勅願所、
慈覚大師入定の地也。岩窟に仏像を彫刻し、奇石物古り、
弧松枝聳て、誠に清浄安禅の地域也。御朱印千四百廿石。
十二坊承仕神子祢宜等内五百石を配当す。比叡山を移根
本中堂、山王・八王子の社有。就中常灯の火ハ伝教大師、
大唐より将来の火にして、今に消る事なし

   山寺や入相の音に桐も散

根本中堂


四日

二口の嶮罷越へて仙台に入、馬場村ニ舎る。山寺より八
り、二口の関所にて

   一口に往来とかめる鶉かな

五日

馬場より仙台ヘ六り、国分町桔梗屋に泊ル

六日

      仙台城下の酒肆菊史雅生を訪うらふて

   杉の門を尋あてけり新酒時

   前略

作り木の笠の寂しく秋の雨
      嵐二
熊谷ヤ権六
 茶を運ふにも先扇置く
      芳角

桟留の微塵も分る月照て
      篁雨



七日

   宮城野

木の下や露もこほれて萩の花

   壺碑

壺の碑や空に千里の雁も来る

   末松山

松山と誓ふかたミや稲の波

   沖の石

蜻蛉の今羽を干や沖の石

松崎風星庵より絶景を一瞬に眺望して、句案に時を
移す

松しまや肌寒き迄立ちつくし

 月に情あり星に寂あり
   白居

あらたまる銚子ハ古酒に出かわりて
   嵐二



八日

   富山の観音に登る。石階三十丁程、別当の庭よ
   り松しまを望む。千島を眼下眺望するに、舟より
   も又別景にして大小の島々一眼に見る

霧晴て有たけ見たり松千島

   松山に宿る。此あるし俳諧を好ミしか、前に身
   まかりけると聞て

松山や月入る跡も面白き

九日

   田尻の駅和陽老人を尋ねて風談に時をうツす

風談に暮おしまれて竹の春

   月立宿に舎、六り半

十日

   山の目駅舎、八り

十二日

   山の目より案内者をたのミて中尊寺へ参詣す。
   右の方束稲山・秀衡館の跡・義経の館跡、月見
   殿下ニ衣川・桜川、左ニ金鶏山・金峯山・花立
   山・無量光院の跡・衣か関

木々も錦着るや衣の関の跡

   判官館山を登りて義経の木像を拝、弁慶堂ニて
   木像を拝す。衣川立往生の像也

鶏頭や雨もいとわす立果し

   亀井松

かわらすに朽す亀井か松の立



   いしのかミふる川に古き跡を尋ねて、麦雨主人
   のもとに舎る

緒の絶し琴柱や橋に雁の影

十五日

   良夜ハ知ミ子のもとの俳筵に遊ひて

仙台の露なめて見んけふの月



宮城野郡仙台ハ磐手山より今の青葉山へ移、伊達政
宗の時慶長六年なり。西ハ恋路山・青葉崎・茂ヶ崎、
東ハつゝしか岡・木の下・宮城野・玉田・横野其外
名所多し。広瀬川城足を流れ、町数廿壱町、間々に
家中屋敷立つゝき、方百町に余る都会也

十七日

爰を立て雁と共に南におもむく。今日そ帰杖のはし
め也ける。名取川をかち渡りして中田町の入口より
右の方へ入。名取の熊野権現に詣。此御社ハ鳥羽院
の御宇、名取の老女の勧請する所にして、那知(智)
滝新熊野悉く紀の路の神地を爰に移セり。こざしの
橋を越て、実方中将の古墳を拝す

 秋寂て雀も見へす墳の前

四五丁行て中将の馬の塚有。笠島道祖神に詣

 笠島やぬかつく袖も露しくれ

三里廿四丁行て槻の木宿に舎る

十八日

武隈の松、阿武隈川を左ニ見る

 阿武隈や田歌の果を落し水

白石の城下を過、斎川町・鐙摺石・鬼の磨臼、石田
村の社を経て越河に泊ル。是仙台領の境なり

十九日

下紐の関を越、義経の腰掛松伊達の大木戸・二重
堀の跡を見る

 大木戸や脚半て見たる兜菊

弁慶硯石小高き山の頂に有、瀬の上より左へ別れて
大隈川を越し、文字摺の石を尋ぬ。観音堂の庭清水
湧中に有。往古人の田畑を踏荒故山上より突落すと
いふ碑有

陸奥国信夫郡毛知須利石地中文字不見
始称其名不知何時其説亦未詳也地中不見
後人不知其斯石故表而立碑於石地中不見

   丙子元禄九年夏五月中日

      福島大守紀正虎

(付箋)
陸奥国信夫郡大笹村
            伊藤日向
延喜式内上宮神主

 羅の羽を石に摺蜻蛉かな

又渡しを越、福島に宿る文字摺石ヨ(リ)二り都テ七里り半

廿日

二本松に舎。福島より五り。仙医虚来主伯を尋ねて

 桔梗とハ嬉し薬の袋にも

黒塚のむかしの跡を尋ねて

 黒塚や恋する鹿も角ハ有

廿一日

浅香山左りの方往還側に有。沼ハ安積山東勝寺の後
に有。山の井ハ西の方山の上清水涌所なり。養老年
中犠を備へし事、安積山の縁起に委し

 山の井や若葉の酔も薄きかげ

   福わらの里にて昼餉を恵まれけれハ、いにしへ
   大君の詠をおもひ合て

豊年の秋や笥に盛旅かれゐ

廿二日

須賀川の宿水牙の亭に舎に舎ル。九り、白河の関を越

 関越て扇捨けり旅の秋

廿三日

白坂の宿に舎。八り、芦野の宿右の入口遊行柳

 風の配る遊行の札や散柳

廿四日

野州作山町松屋に泊ル。九り、氏家宿錦河子を尋
ぬ。旧知のよしミとてせちにとゝめられて、本家本
陣平石氏に宿る。佐久山より五り

 旅の雁三ツ二ツ江に一夜かな

廿五日

鬼怒川の元あくツの渡しを越、宇都の宮・雀の宮・
石橋の駅に舎る。七り

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