俳 書

『鹿島詣』


 常陸潮来の本間家に「鹿島詣」の真蹟が伝わり、秋瓜が三代目画江が探していた医書『證治準縄』と引き換えに譲り受けて板行。

 「記事」と題して「寛保辛未」松籟庵秋瓜の「謹書」がある。寛保に「辛未」はない。「寛保辛未」は「宝暦辛未」すなわち宝暦元年(1751年)であろうか。

宝暦2年(1752年)8月、麦浪「後序」。

「附録」として蕉門故人や門人の名月吟がある。

   記 事

祖翁の鹿島紀行は自準か家に伝て常陸国潮来邑にありける準は本間氏にして医をよくす最風雅を好て正風を信す翁のかしま往来し給ふ事年ありそこの根本寺と云へる禅院に仏頂和尚の閑居しておはしけるに参禅して勤給ふ和尚は翁の禅師なりとそ其帰るさは準にやとりて或は医を問ひ将嘯吟して巻く時はすみやかに武の草庵に戻られけるよしを語伝へたり準没して三代其孫を画江と伝ふ医業を継て俳諧は柳居士の門にあそふ予十とせはかり先ならん其あたり遵行せし頃初て此真蹟を拝してよりひたすらに乞へとも江曽て許ささりけれは年月を過ぬ只明暮に付て其事をのみ申やりぬるにある日其あたり近き青郊と云ふもの来て告て曰江今医学に魂を入て寝食漸忘るゝに似たり此ほと證治隼(ママ)縄といへる書を尋て是に切なる事を聞けり今此書をもて是に易へは真跡やすかるへしと云へるに心驚て此ことを書林東門子にさゝやくに日あらすして持来る忽是を荷ふて三十余里を馳て郊と共に八月望日江か家に到る江嗟嘆して許諾す年来の積欝爰に解て謹て拝受し侍りぬ是を秘して礦中の玉ならんも本意なしと頻にすゝめられて則模写して梓行に及ふ

于時寛保辛未(ママ)年中松籟庵秋瓜q氏謹書

   
   附録

名月や畳の上に松の影
其角

名月やたしかに渡る鶴の声
嵐雪

岩はなや爰にも月の客ひとり
去来

野山にもつかて昼から月の客
丈艸

頓て染る山を晒すやけふの月
麦林

名月や空にはきえて鷺の影
希因

名月や丸太はしらの添ひ安く
柳居

影坊は蚊になふられてけふの月
五竹

名月や椽に棹さす竹の影
止絃

  他郷

名月や松のよし野は只一夜
   武蔵柳几

名月や背戸にも敲く引板の音   常陸青郊

朝起になりて戻りし月見哉
之六

名月や我か乗る影もうさき馬
亀文

軒端からうらみの滝や雨の月
   越中麻父

名月や昼のきけんの泊り鳥
   近江千栴

名月や折て見たれは只の枝
   加賀麦水

名月や灯のある船は台ところ
   伊勢麦浪

はからす良夜に此一軸を得て画士か家を立出ぬ此邑より根本寺へは船の遊ひも這ひわたる程なれはそこの大船津に宿借りて清光に立尽す鹿島か崎つくは山いつれ歟奇絶ならさるはなし

出汐から見れはや月の根本寺
   秋瓜

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