俳 人
長谷川馬光
貞享4年(1687年)、馬光生まれる。父は津軽弘前藩の藩医であり、本所に屋敷があった。後に御家人長谷川直隆の養子になる。
山口素堂の弟子。初号素丸。別号泥山。二世其日庵。夕可庵。
かまくらにて
目には青葉山郭公はつ松魚 素堂
『江戸新道』(延宝6年)
享保10年(1725年)、中川宗瑞、松本珪林、大場蓼和、佐久間柳居とともに「五色墨」の運動を起こす。
享保16年(1731年)、俳諧撰集『五色墨』刊。
寛保3年(1743年)、芭蕉の五十回忌で桃青寺に芭蕉堂を建立し、芭蕉像と素堂像を安置。
桃青寺
延享5年(1748年)、夕可庵を営む。
寛延3年(1750年)8月12日、馬光が中心となり関口芭蕉庵に「さみだれ塚」を建立。
さみだれ塚
芭蕉の短冊「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」を埋めて墓とした。
寛延4年(1751年)、広岡宗瑞は馬光や吏登の後見で二世宗瑞を継承。
寛延4年(1751年)5月1日、65歳で没。
振かへる谷の戸もなし郭公
宝暦7年(1757年)、馬光の七回忌追善集『ふるふすま』(竹阿編)刊。
桃青寺で馬光忌が営まれていたようである。
鋸山の日本寺に馬光の句碑がある。
引きおろす鋸山の霞かな
馬光の句
やめは降り人にあかれぬ時雨哉
荒海のかさりみせけり雲の峰
長き日や同じ事して礒の波
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