2007年下 町

目白不動〜神霊山金乗院慈眼寺〜
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 都電荒川線「学習院下」を下りると、豊島区立高南小学校の隣に金乗院というお寺がある。


神霊山金乗院慈眼寺


江戸三十三観音第14番札所である。

目白不動金乗院

 金乗院は真言宗豊山派の寺院で、開山永順が本尊の聖観音を勧請して観音堂を築いたのが草創とされています、永順の没年は文禄3年(1594年)6月であることから、それより以前天正年間(1573〜92)の創建と考えられます。当初は蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となりました。

 江戸時代には近辺の此花咲耶姫(このはなさくやひめ)社などの別当でしたが、昭和20年4月の戦災で本堂等の建物や水戸光圀の手になるという此花咲耶姫の額などの宝物は焼失しました。現在の本堂は昭和46年に再建され、平成15年に全面改修されました。

金乗院に目白不動があった。

目白不動


関東三十六不動霊場第14番札所である。

 目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)は、元和4年(1618年)大和長谷寺第四世小池坊秀算が中興し、関口駒井町(文京区)にありましたが、昭和20年5月の戦災により焼失したため、金乗院に合併し、本尊の目白不動明王像を移しました。

 目白不動明王は、江戸守護の五色不動・黄・・白・)の随一として名高く、目白の号は寛永年中(1624〜44)に三代将軍徳川家光の命によるといわれています。

   平成19年(2007年)3月

豊島区教育委員会

目黄不動は台東区江戸川区の2ヵ所にある。

大正13年(1924年)3月3日、永井荷風は目白不動を訪れている。

日輪寺を出で目白不動の祠に賽す。境内には西洋づくりの病院の如きもの普請中にて、東豐山の風致も既に破壊せられたり。


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