麻布雑色にあり。(昔は亀子山と号しけるとぞ。)親鸞上人弘法(ぐほふ)の地にして、当宗関東七箇の大寺の一員、了海上人開山たり。亀山帝の勅願、本尊阿弥陀如来の像は恵心僧都の作なり。往古は、南紀の野山(やさん)に象(かたど)りて草創ありし梵宇にして、初めは真言密条の勝区たりしが、貞永元年壬辰(みずのえたつ)、了海師、親鸞上人の弘法に帰化し宗風を転ず。 |
嘉永7年(1854年)3月、神奈川において日米和親条約締結。 安政3年(1856年)7月、タウンゼント・ハリスが米国総領事として下田に来航。 安政5年(1858年)6月19日(7月29日)、ポーハタン号艦上で日米修好通商条約調印。 安政6年(1859年)、善福寺に初代アメリカ合衆国公使館が設けられ、タウンゼント・ハリスらが在留。 |
当山の中門は古くから勅使門と呼ばれ、伝承によれば、文永の役(1274年)で亀山天皇の勅使寺となったとき以来の命名とされている。 寺院の門として最も重要な位置にあり、幕末のアンベール著の絵入り日本誌等に、その形が描写されていた。 当時の火災は免れたものの、昭和20年5月25日戦災を受けて焼失し、昭和50年11月5日の再建によって、現在の形を再び現わした。 |
昭和20年(1945年)5月25日、本堂が戦災で焼失。 昭和36年(1961年)、東本願寺八尾別院大信寺の本堂を移築。 |