2007年下 町

浅草本願寺〜小林一茶〜
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東京メトロ銀座線田原町を出ると、浅草本願寺(HP)がある。


新堀端大通りにあり。開山教如上人、その先本山の住職たりしを、豊臣家のはからひとして、順如上人(教如上人の舎弟なり。)を本寺の門跡に定められ、教如上人をば故なく退隠せしめ、裏屋敷に置かれしを(この故に東門跡をば裏方とはいへり。)神祖竟に召し出だされ、開山上人の真影を御寄附ありて、六条室町の末にて新たに御堂屋敷を下し賜はる。夫(それ)より後、東西とわかる(その後江戸にて末寺建立あり度(たき)由訴へ、則ち神田にて寺地を拝領す。一宇を建てて京都よりの輪番所となり、江戸中の門徒を勧化す。その地いま昌平橋の外、加賀屋敷と唱ふる所なり。明暦の後今の地に移されたり。)当寺は朝鮮人来聘の砌(みぎり)に旅館となる。

立花会(毎年七月七日興行す。参詣の人に見物を許す。)開山忌(毎年十一月二十二日より同廿八日までの間、読経・説法等あり。俗にこれを御講(おかう)と称す。一に報恩講ともいふ。そのあひだ門徒の貴賎群参せり。)


浅草本願寺


浄土真宗東本願寺派の本山である。

 慶安4年(1651年)、神田に創建。

 明暦3年(1657年)、明暦の大火により焼失し、浅草に移転。

冨嶽三十六景「東都浅草本願寺」


 文化3年(1806年)3月4日、火災により焼失。

「寅年の大火」といわれる大火事である。

小林一茶は「寅年の大火」のことを書いている。

四日 晴 大南吹 巳刻芝田町より火出て浅草反甫迄焼る 五日巳刻ニ至ル

『文化句帖』(文化3年3月)

 文化7年(1810年)11月16日、東本願寺上棟。

 文化8年(1811年)10月28日、東本願寺御堂普請成就、遷仏供養。

慶応4年(1868年)2月、浅草本願寺で「彰義隊」を結成した。

 大正12年(1923年)9月1日、関東大震災で地震には耐えたが、火災で焼失。

 昭和9年(1934年)11月26日、本堂再建が始まる。

   淺草別院にて

秋晴や時計聞ゆる誦經中

秋晴や我を知る友一人ある

秋晴や法座に網聲聞え來る


 昭和20年(1945年)3月、空襲により被災。本堂内部は全焼したが、外郭は鉄筋コンクリートのため残った。

 昭和40年(1965年)5月、浅草本願寺の名称を東京本願寺に変更。

 平成13年(2001年)4月26日、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺へ改称。

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