芭蕉の句碑東 京


一里はみな花守の子孫かや

港区南麻布の天現寺橋交差点に天現寺(HP)がある。


多聞山天現禅寺


臨済宗大徳寺派の寺である。

昭和20年(1945年)5月、太平洋戦争で諸堂宇全焼。

昭和26年(1951年)4月、仮本堂並びに諸堂宇落成。

昭和42年(1967年)10月、旧本堂落成。

天現寺本堂


多聞天が祀られているはずだが、改築の為本堂は伽藍堂。

本堂左の築山に芭蕉の句碑があった。


伊賀の国花垣の庄はそのかみ奈良の八重桜の料に附されけるといひ伝へければ

一里はみな花守の子孫かや

出典は『猿蓑』(去来・凡兆共編)。

元禄3年(1690年)春の句。

 碑の裏に「文政六癸未初冬 其薫四方に満つるや八重桜 古調庵萬嶽社中」とある。

『広茗荷集』(文政9年刊)に収録されている。

麻布広尾多聞山天現寺 境内

> 花守墳

伊賀の国八重垣の庄はそのかみ奈良の八重さくらの料に付せられけるといひ伝へ侍れば

一里はみな花守の子孫かや

こゝに故ありて奈良の八重桜の実生をうつし植けれは

 其薫り四方に満るや八重さくら

   文化八辛未初冬 古調庵萬嶽社中

『広茗荷集』

古調庵萬嶽は出羽上山藩の家老金子万嶽

寛政6年(1794年)、江戸に出て麻布広尾野に草庵を結び、俳人となる。

文政4年(1821年)2月27日、93歳で没。

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