洋傘を杖にしてとぼとぼと歩み行くこと七八町にして丸八橋に至る。木橋にて欄干も半朽ちかけたり。對岸大島町の方に鳥居立ちたれば橋をわたりて立寄り見るに、東向に建てられし社殿一棟あれど、額なければ何の社なるを知らず。思ふに稲荷社なるべし大なる枯木二本あり。又路傍の華表には天保八丁酉歳六月吉日と刻したり。社殿の前に芭蕉の句碑あり。左圖の如し。東鄰に勝智院眞言宗智山派といふ寺あり。又小名木神社あり。拜殿の傍に朽廢したる小社ありて、小さき石に水神の二字を刻したり、境内に枯れたる古松二三かぶあり。
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大島(おおじま)に芭蕉の句碑があったはずだ。
江東区中川船番所資料館で訪ねると、大島(おおじま)稲荷神社に芭蕉の句碑があると分かった。
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小名木川沿いに歩いていくと、丸八橋たもとに大島稲荷神社があった。
大島稲荷神社

梅の花が咲いていた。
昭和20年3月9、10日、大東亜戦争にて神社、社務所一切消失
昭和40年 御神殿権現造造営
女木塚句碑がある。

秋に添て行はや末ハ小松川
江東区有形文化財に登録されている。
元禄5年(1692年)9月29日、芭蕉は深川から船で川下りをして、小名木川に船を浮かべて桐奚(とうけい)宅に訪ね行く途中、船を留めて大島稲荷神社に立ち寄り参拝して、境内の森の中で小名木川の流れを眺めながら詠んだ句だ、と書いてあった。
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九月尽の日女木三(沢)野に舟さし下して
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秋にそふ(う)てゆかばや末は小松川
| ばせを
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雀の集(タカ)る岡の稲村
| 桐奚
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月曇る鶴の首尾に冬待て
| 珎碩
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「九月尽の日」は、9月29日。珎碩は浜田洒堂の別号。
女木澤桐奚興行
秋に添て行ばや末は小枩川
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『蕉翁句集』(土芳編)は「元禄四未ノとし」とするが、誤り。『芭蕉翁發句集』は「元禄六酉年」とする。
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桐奚の句
霜畑やとり残されし種茄子
芭蕉庵
来るも来るも豆腐好キ也けふの月
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女木塚句碑の裏には「其日菴社中造立」と書いてある。
『諸国翁墳記』に「女木塚 東武葛飾郡小名木沢勝智院ニ建 野逸社中」とある。
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本所小葱沢勝智院 境内ニ在
女木塚
秋に添ふて行はや末は小松川
碑陰
其日庵野逸社中建立
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「其日(きじつ)庵」は、初代が山口素堂である。
目には青葉山ほととぎす初鰹 素堂
二世其日庵は長谷川馬光、馬光は関口芭蕉庵に「さみだれ塚」を築いた。