浅草の雪 金竜山浅草寺の朱き山門の雪まつしろに霽れにけるかも 首出して神馬雪喰ふつつましさ見て通りけり朝の帰りに
北原白秋『雀の卵』 |
浅草弁天山は布施弁天、江ノ島とともに関東三弁天のひとつに数えられているそうだ。 |
元禄5年(1692年)8月、5代将軍徳川綱吉の命により、深川住の太田近江大椽(だいじょう)藤原正次が改鋳し、その費用として下総(現、千葉県)関宿藩主牧野備後守成貞が黄金200両を寄進した。 |
昭和20年3月の東京大空襲で火を浴びたが無事に残り、今なお昔のままの姿を見せている。なお、鐘楼は同空襲で焼け落ち、昭和25年5月再建されたものである。 |
元和4年(1618年)浅草寺観音堂の西南に東照宮が建ち、この門は随神門(ずいじんもん)であった。その東照宮は寛永8年(1631年)と同19年(1642年)の再度の火災に浅草寺の他の諸堂とともに焼失して、江戸城内の紅葉山に移されたが、随神門のみは炎上を免れた。 |
明治43年(1910年)8月10日、埼玉県幸手の権現堂提が切れ、浅草の観音様まで水が来たそうだ。 |