芭蕉の句碑


くわんをんのいらか見やりつ花の雲

JR総武線亀戸から浅草寿町行きのバスが出ているので、乗ってみることにした。


雷門でバスを降りる。

浅草を歩くのは20年ぶりだろうか。

浅草寺山門


   浅草の雪

金竜山浅草寺の朱き山門の雪まつしろに霽れにけるかも

首出して神馬雪喰ふつつましさ見て通りけり朝の帰りに

北原白秋『雀の卵』


寺宝を収蔵しているので、「宝蔵門」と称している。

浅草寺は人が多い。

浅草寺山門の右に弁天山がある。

 浅草弁天山は布施弁天江ノ島とともに関東三弁天のひとつに数えられているそうだ。

弁天山に時の鐘がある。


時の鐘(浅草寺)

 元禄5年(1692年)8月、5代将軍徳川綱吉の命により、深川住の太田近江大椽(だいじょう)藤原正次が改鋳し、その費用として下総(現、千葉県)関宿藩主牧野備後守成貞が黄金200両を寄進した。

花の雲鐘は上野か浅草か

 昭和20年3月の東京大空襲で火を浴びたが無事に残り、今なお昔のままの姿を見せている。なお、鐘楼は同空襲で焼け落ち、昭和25年5月再建されたものである。

時の鐘の脇に芭蕉の句碑がある。


くわんをんのいらか見やりつ花の雲

貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句。

芭蕉が深川の草庵で病気で寝ていた時に作ったという。

この時代、深川から浅草の観音様の屋根がみえたそうだ。

寛政8年(1796年)10月12日、句碑建立。

二天門


浅草寺の雷門は有名だが、二天門はあまり知られていない。

二天門

 元和4年(1618年)浅草寺観音堂の西南に東照宮が建ち、この門は随神門(ずいじんもん)であった。その東照宮は寛永8年(1631年)と同19年(1642年)の再度の火災に浅草寺の他の諸堂とともに焼失して、江戸城内の紅葉山に移されたが、随神門のみは炎上を免れた。

この門は昭和21年国宝、同25年重要文化財に指定された。

 明治43年(1910年)8月10日、埼玉県幸手の権現堂提が切れ、浅草の観音様まで水が来たそうだ。

隅田公園へ。

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