吉井勇


吉井勇の歌

『天 彦』 ・ 「『形影抄』以後」

酒びたり二十四時を醉狂に送らむとしてあやまちしかな

兩國の橋のたもとの三階の窓より牧羊神(パン)の躍り出づるは

かにかくに祇園はこひし寐るときも枕の下を水のながるる

君に似し天草島のたをやめが髪おもしろし總角(あげまき)にして

『酒ほがひ』

新佃わがたましひの傷つけば堪へがたきまで寂しきところ

人の世を厭ふこころのいや深く佃住居(すまゐ)も冬寂びにけり

硝子戸に額(ぬか)を寄すれば洲崎の海上總澪(みを)かけ夕みぞれせり

冬の海見ればかなしや新佃海水館はわび住みにして

『毒うつぎ』

長崎に來てはや三年經ぬと云ふ狂人守の茂吉かなしも

病みあがりなれど茂吉は酒飲みてしばしば舌を吐きにけるかも

うらさびしピヱル・ロテイがお菊にも似たるひとなし長崎の夏

これやこのじやがたら文にあらねども今日も悲しき消息を書く

じやがたらのお春の文のはかなさに似し文來ぬとはかながる人

寂しさは去來の發句の薄塚花すすきてふ字より來るらし

十年まへ平野萬里と來しときの長崎の夏も忘られなくに

白秋とともに泊りし天草の大江の宿は伴天連の宿

『夜の心』

  筑紫の旅

かへりみれば遥かなるかな筑紫路に防人のごと歎きける日も

長崎に茂吉のありしころ戀しいまも忘れず丸山の酒

稲佐にて見し露西亞むすめいまいかに寂しき頬の忘られぬかな

山霧は黒姫山の方より來山に愁ひのあればなるべし

船に寢て母戀しやとおもひゐぬ薩摩へくだる初旅にして

薩摩潟父の生れしふるさとの雲のいろなど思ひ旅ゆく

  信濃路の旅

赤倉の湯宿の窓ゆ入りきたる霧の白きも忘られぬかな

うそ寒く浪華の風は身に染みぬ芭蕉の死など思はるるころ

旅にして花屋日記を讀むときはわれも浪華に死ぬここちする

湯河原の不動の瀑の瀑守も秋ちかづけばものを思ふや

熱海なる逍遙莊もおとづれずあわただしもよ去年(こぞ)の夏旅

  旅を戀ふ

さすらひの旅戀ふ心しみじみと野ざらし紀行讀みてわが居り

野晒となる身のはても思はれてこころいたみぬ旅を戀ひつつ

十返舎一九の文(ふみ)を見るときは心あかるく旅を戀はしむ

旅を戀ふこころに今日も讀みてゐぬ芭蕉の書きし嵯峨の日記を

葛飾の紫烟草舎に白秋をおとづれしころ戀しきも酒

百花園の菊塢が庭の秋萩の花のあはれを友は句にする

櫻餅買ひてかへりしおもひでにふと涙ぐむわれを知らゆな

『故 園』

   昭和六年五月、われはじめて土佐の國に遊び
   ぬ。海は荒かりしかども空あかるく、風光の
   美そぞろにわが心を惹くものありき。かへり
   てのち興のおもむくままに土佐百首をつくり
   しが、ここにはその半ばを撰びつ。

ひんがしへ吹きゆく風よ浪速津をいま船出すと妹に告げ來ね

大土佐の海を見むとてうつらうつら桂の濱にわれは來にけり

大土佐の室戸の沖に立つと云ふその龍巻の潮ばしらかも

はるばると室戸岬にわれは來ていきどほろしく荒海を見つ

空海が修法の洞の窟(いはや)もり古かはほりにものを問ひそね

空海が大きみ足のあとも見る室戸岬のたちばなの道

かしこしや室戸岬はそのむかし大師の獨鈷の落ちたるところ

土佐の海浦戸御疊瀬の幾うねりうねのまにまにゆけばおもしろ

貫之が土佐日記にもはかなげにしるしてありき船のわかれを

西御坊歌びとわれもかしこみて蓮如の御像おろがみまつる

聖蓮如ひらきたまひしおん寺に來ればかそけし松風の音

大江山生野のあたり雪ふり見つつ妹をし偲べとふごと

ひさかたの天の橋立ここに來てあはれとぞ思ふ小式部の歌

   昭和八年四月、われふたたび北陸にあそぶ。
   多く蘆原の湯の里にありて、うつうつたる日
   を送るうちに、ひと日機縁ありて曹洞第一の
   道場吉祥山永平寺に詣でぬ。

いまもなほ吉祥山の奥ふかく道元禪師生きておはせる

おん受戒明日よりと云ふ山淨めわれはも塵のひとつなるべし

   昭和八年六月、小杉放庵氏等とともに、越後
   路より佐渡が島へ遊びたる後、われひとり、
   さらに信越二國のあひだにさすらふこと二月
   あまり、流離のおもひに骨も痩せける。

いにしへも西行と云ふ法師ゐてわが世はかなみ旅に出でにき

海にして彌彦の宮をおろがみぬ御禊をすなる山禰宜のごと

蓮華峰寺丹碧のいろいや古く離離たる草のいとほしきかな

放庵は金北山へのぼるなりわれこそは取れ大きさかづき

わが友が金北山の初山に採りし石楠花ゆるがせにすな

佐渡に來てふと思へらく簔笠の長塚節來しは何時ごろ

佐渡に來て命棄てまくおもふ身を羽黒權現救ひたまへや

人の世のけがれを怒るごとくにもはたた神鳴る妙高の山

はかなしやゆくへも知らぬさすらひの旅の塵にも似たるわが歌

   昭和八年八月、われは信濃の山を下り、木曾
   路を過ぎて京阪に出で、さらに遠く海を越え
   て四國にわたりぬ。伊豫を輕て土佐に入り、
   韮生の山峽猪野野の里に滯留することおよそ
   三月、都にかへりしは秋既に深き、十月半ば
   ごろのことなりき

旅のうれひいよいよ深くなるままに土佐の韮生の山峡に来ぬ

いつはりの世に出でむより大土佐の韮生の峽にこもるまされり

物部川山のはざまの風さむみ精靈蜻蛉飛びて日暮るる

はたた神いきどほろしく鳴り出でぬいまこそ酌まめ酒麻呂の酒

いきどほろしき心をもちて酒麻呂のつくれる酒は飲むべかりけり

ここはしも猪野野山里訪ひ來とも伊野部酒麻呂妹な欲りそね

かにかくに友はうれしも別れ酒伊野部酒麻呂酌めともて來ぬ

   昭和九年四月、われふたたび土佐に入りぬ。
   山嶮しく海荒しといへども、この地の人ごこ
   ろの直ぐなることは、げにうるはしき埴安の
   郷のここちこそすれ。片雲の風にさそはるる
   身も、いでやここにささやかなる廬を結めば
   と思ひ定めぬ。

四國路へわたると云へばいちはやく遍路ごころとなりにけるかも

土佐の海のゆたのたゆたにただよひてあらばかよけむ海月なす身は

去年の夏うち親しみし土佐の土ふたたび踏むと思ひがけきや

空海をたのみまゐらす心もてはるばる土佐の國に來にけり

大土佐の韮生山峡いや深くわれの庵は置くべかりけり

あしびきの山こもり居のわがためにうま酒もて來伊野部酒麻呂

夜ごとに酒麻呂の酒酌みながら百足の宿に安居(あんご)すわれは

『人間経』

   昭和十三年の秋ふかく、伏見の稲荷に御火燒
   のある日、その傍にある東丸神社に詣でて、
   荷田春滿の舊居を觀る、即ちこの勤王歌人の
   ことを思ひて詠みける歌

春滿の大人(うし)祀りし御社と聽けばかしこし深く額づく

荷田祭ちかづくほどに御社の屋根の夕霜いろ冴にけり

『風 雪』

  鞍馬山

   昭和十五年七月、鞍馬山を越えて貴船の里に
   到る

荒法師竹を伐るてふ山まつり過ぎて鞍馬の夏はふかしも

のぼり來ていささか寂し道の邊の著莪の群生(むらふ)は花なしにして

山往けば與謝野の大人(うし)の歌碑のあるあたりかそけく松蝉のこゑ

遮那王の背くらべ石のあるあたり山深うしてもの思(も)ふによし

  龍河洞

   土佐に奇勝あり。龍河洞といふ。一日瀧嵐子
   とともにここに遊びて詠みける歌

寂しさの涯(はて)を極めむ悲願持ち岩くぐる身をば反らせて

石雫あな冷たさよと思へども心はさまで寒からなくに

命ここに盡くると思(も)はね洞ふかく闇路を往けば光戀しき

絶え間なく石滴りてあるほとに百千劫はいつか經にけむ

『遠 天』

  初寅詣

   一月六日、不圖思ひ立ちて鞍馬の初寅詣にゆ
   く、この山には亡き師與謝野寛先生の歌碑あ
   りてなつかし

人よりも石はなつかしまして師が歌を刻める鞍馬石これ

なつかしさ遽かに湧き來石の面に刻める師の字見つつし居れば

かたはらの赤き實を見て師の主筆思ひ出しぬ歌碑はなつかし

師に詫びむ遮那王の歌戀しけど鞍馬嶺ふかく來ることや稀

わが持つは阿吽の虎にあらずして師が歌石の傍の著莪の葉

  土佐の海

   三月廿六日、雜誌「大洋」より需めらるるま
   まに、土佐の海の思ひ出を歌にして送る、思
   へば懐舊の情はながく盡きず

海を背に桂の濱の岩に踞しうつせし寫眞いろ褪せにけり

土佐の海の荒潮の音いまもなほ聽こえ來るがになつかしみ居り

はるばると土佐を思へばいまもなほ浦戸の海に心ただよふ

桂月の碑にまづ酒を手向けたる後しめやかに聽きし海鳴

目閉づればまさしくそこに現(あ)れきたる大土佐灘の海の遥けさ

  訃 報

   十一月十七日、突如土佐の友伊野部恒吉君の
   訃報來る、わがこの海南の友は、正義を愛す
   るの心深く、純情稀に見るの志人なりき

友の死の知らせ疑ふならねどもまことなりやとしばし考ふ

むらぎもの心正しき生涯も四十路といへばあまり短し

友の死を告げし電報前に置きて腕組みゐたりあまり悲しく

胸を打つ激しき思ひ堪へゐしが心しづまりて後涙出づ

これの世に友亡(な)しといふこの知らせ比叡(ひえ)颪かもいまかもて來し

  室戸岬

   十一月十九日、拂曉わが船は室戸岬を過ぐ、
   數年前の土佐流離のころのことを思へば、ま
   た感に堪へざるものあり

何ごともただありがたく船にして室戸岬もをろがみにけり

室戸山明星院の遍路みちいまは見えねどなつかしきかも

あるがまま身をまかすれば安けしや室戸の沖の大うねりさへ

室戸なる燈臺の灯のまたたきを見つつわれゐぬ思ひ遥けく

室戸の灯見つつ歎かふ過ぎし日の土佐さすらひの旅を思ひて

『わが歌日記』

  土佐路の旅

   昭和十六年十一月、圖らずも友の訃報を得
   て、直ちに海路土佐に到りぬ。亡友その名は
   伊野部恒吉、家銘釀を業とするを以て、予は
   戯れに酒麻呂と呼ぶ。殯に接したるの後、留
   まること僅一日にして京に歸りぬ。

  酒麻呂を悼む

室戸丸おもむろに舳(へ)を向き直すしづけき朝の大浦囘(おほうらわ)かも

室戸なる燈臺の灯の閃きも命あるうちに幾たびか見む

室戸山明星院の遍路みちありあり見えて明け初めにけり

わが船は浦戸に着きぬかなしもよ友の葬(はふ)りの今日といふ日に

今日友を葬(はふ)るかなしき日と知らずこころなく鳴る船の太笛

むらぎもの心ただしく生きて來し伊野部酒麻呂死ににけるやや

瀧嵐なつかしき名の酒つくりありける友も逝きてかへらず

友いまた生きてかあらむここちして土佐路戀(こほ)しくわれは來にけり

酒麻呂はまこと死にしかあらじかと思ひつつ來ぬ友の家まで

  酒麻呂追懷

酒麻呂が腰手拭のうしろつきいまも目に見ゆ死にしと思はず

いまもなほかなしと思ふ早死のわが酒麻呂の醉(ゑ)ひ眠り癖

(あ)と友と面河(おもご)の溪をゆきにけり寒山のごと拾得のごと

酒麻呂とともにゆきたる佐渡の旅昨日のごとく思ほゆるかも

おもひ出づ土佐山峡のわが庵の爐端の酒を友の笑ひを

  閑居のころ

   予が高知の街はづれ築屋敷に閑居せるは、僅
   か一年ほどのことなりしが、猶忘れがたき思
   ひ出を殘せり

ゆきずりに指觸れて見ぬ三年まへ妹とわがゐしかくれ居の塀

築屋敷妹とわがゐし古家の石榴(せきりゆう)いまもありやあらずや

一年の土佐のわび居のおもひでの築屋敷みちなつかしみゆく

酒酌みに往かめと言ひて入りて來し酒麻呂の聲聽くべくもなし

今となりて思へば樂し妹が背の欅のいろもほのかわが目に

旅鞄さびしく提げて雨さむき千曲の川の長橋わたる

『朝 影』

ひさびさの都のぼりや青山の童馬山房訪ひて語らむ

  冬柏忌

   五月三十一日、今日鞍馬寺にて冬柏忌の催あ
   りと聽けど、粥腹にては山に登りがたし。遙
   かに山上にある與謝野先生の歌碑を思ふ。

冬柏忌今日ぞと思ひ空見れば鞍馬嶺あたり雲はふかしも

師が歌を刻める石のかたはらの一面の著莪花咲くや否や

あはれこの冬柏の忌をまへにして晶子夫人は死にたまひけり

  武藏野探勝

   八月十九日、濱虚子編「武藏野探勝」を讀
   む。武藏野にはわが年少の頃の思ひ出多く、
   讀みつつもさまざまの感傷を覺ゆ。

われふたたび穂薄群のなつかしき武藏野みちを往かむ日や何時

武藏野といへば讀歩をまづ思ひとまれかくまれ胸痛むらし

防人の妻が詠みたる武藏野の多摩のの横山見ずて久しも

武藏野の移り變りの寂しさを四季さまざまの虚子の句に見む

少年の日のおもひでの武藏野の欅並木をいまも戀しむ

  栖鳳の死

   八月二十四日、竹内栖鳳先生湯河原の里にて
   逝きたまへりといふ知らせを聽く。巨匠亡き
   後の畫壇の寂しさは思ふだに堪へがたし。

栖鳳の描きし狗ころいまはその涅槃圖中のものと思はむ

一生にただ一硯のつつましき心おもへばひとり泣かるる

あはれわが栖鳳は死にたまひけり千代田城圖を絶筆として

畫ぼとけの栖鳳ぼとけ安らかにおはせとばかり合掌しまつる

栖鳳の繪を前にして香焚きぬその死を歎くおもひしづけく

  白秋の死

   十一月二日、この日北原白秋の死を報ずる飛
   電を受く。上京意の如くならず、三十數年間
   の交遊を思ひて焦燥悲歎するのみ。

博多にてうつせし旅の古寫眞取う出さびしむ友や死にきと

ただひとつ殘れる友の写眞出しつくづく居れば泣かまく思ふも

『霹 靂』

雲仙の湯守の宿にひと夜寝て歌などおもふ旅疲れかも

  博多雜詠

   昭和十一年夏、筑紫路歌行脚の途次、博多に
   淹留することおよそ二旬、旅愁ここに極まる
   の感あり。

博多なる那珂川べりの宿の椅子うち軋むこそはかなかりけれ

橋見えて橋の上ゆく人見えて川邊の宿はながめあかずも

  大宰府

   博多淹留中の一日、友に誘はれて大宰府行を
   試む。このあたり史蹟舊址多く、懐古の情に
   堪へざるものあり。

筑紫野の水城の址を見ておもふなほ胸を打つ防人の歌

大伴の旅人のわかれ思ひつつ水城を見ればこころ遥けし

都府樓のいしづゑ石に夕日さし雲雀鳴かねど寂しきろかも

  大三島

   大三島にある大山祇神社は、日本総鎮守の神
   號ありて、古來武神として尊崇せらる。昭和
   十一年内海巡遊の途この島に寄りて國運の隆
   昌を祈りき。

大三島近づくほどに海のいろ太古のごとく深く澄み來ぬ

伊豫一の宮ある島の大鳥居海にうつりていや白く見ゆ

義経の鎧まばゆし緋縅しの眞紅の糸のいまか燃ゆがに

  伯方島

   昭和十二年の夏、予は伯方島にある一海村、
   有津といへるところにて二月を過しぬ。知ら
   ず、これも流離の果か。

この島も伊豫の國かも瀬戸の海の船路を遠く來しと思ふに

伯方島の島居にいつか見馴れたり朝發ちの船夕發ちの船

たたかひは支那大陸にはじまりてわれの島居安からぬかな

たたかひ出で征(た)つ人を幾人か乘せて船往ぬ朝な朝なに

  因 島

   因島は、古くは隱島又は院島と呼ばれ、南北
   朝の頃より史上に現はる。周回十里、名勝白
   瀧山には奇岩多し。

因島に船近づけば聽こえ來る鐵板を打つ夕ひびきかも

船工場ある島なれば夕潮に異國の船も船がかりせり

島島の灯ともし頃をゆるやかに生名渡しの船は出づらし

旅ごころやうやく倦みぬこの山に吾(あ)をおどろかす奇(く)し岩もがな

肱川に童子泳げり昨日かも見たる芋錢の河童圖のごと

秋さむきかの城あとの石のうへ藤樹先生おはしけるかも

  室戸岬

   室戸岬は、太平洋に面したる四國の東南端に
   して、風景極めて雄大。巨岩の間に點綴する
   熱帯植物も、亦他にては見難きもの。

空海の窟(いはや)かしこし沖邊より吹き來る風もここに來て凪ぐ

ありがたく猛(たけ)き岩かも空海のこころをもちて海とたたかふ

室戸山明星院へゆく道をなかば來て聽く蜩(ひぐらし)のこゑ

砂しろき室戸の浜の遍路みち夏深ければ人も通はず

  松江雜詠

   松江の風光明媚なることは、多くの先人既に
   説きたり。予は僅かに半日をここに過ごし、
   その景勝を一瞥せるのみ。

橋多き松江の街をゆきにけり人力車夫とものを云ひつつ

ただありのあはつけ人の旅としてまづおとづれぬ松江城址を

  八雲舊居

   松江の市中閑寂なるところに、小泉八雲舊栖
   の家あり。隣りに記念館ありて机、椅子、書
   籍などの遺愛品多く存す。

城あとのめぐりの濠に水錆(みさび)浮き八雲の家も近づきにけり

あかあかと午後の日射すはそのむかし八雲住みたる家の塀かも

古びたる洋燈(らんぷ)机のうへにあり小泉八雲在りし日のごと

朝夕凭(よ)りけむひとを思ふときこの古椅子もなつかしきかも

  妙高山

   妙高山の山腹にある赤倉温泉は、尾崎紅葉
   「煙霞療養」に依りて世に知らる。予もその
   風景の雄大なるを愛し、客となること數回。

山ごもりしづけくあらむ吾(あ)がために妙高おろし吹き止みたまへ。

朝空やいたも寒しと山みれば妙高は晴黒姫は雲

霧こめてまさ目に見えね遥けくも佐渡のあたりに心遊ばす

いきどほりいささか持ちて妙高の山薄原ゆくが寂しさ

  蓮華峰寺

   大同年間空海の開けるところにして、小比叡
   山といふ。寺堂多く燒失、今殘れるは金堂と
   弘法堂とのみ。

空海のみ足の跡も殘るやと小比叡山路をなつかしみゆく

弘法の御堂はあれど山あさく三寶鳥も鳴かぬ寺かも

蓮華峰寺小比叡の山は秋草のしげれるなかに蟋蟀の鳴く

金堂の壁の胡粉の剥落も寂び極まればうつくしと見つ

   澀民村は石川啄木の郷里にして、姫神山麓の
   一寒村、北上河畔の歌碑の前にて酒を酌みし
   ことも、はやくも二十年の昔となりぬ。

啄木のふるさとながら陸奥の澀民村はあはれなる村

夏ふかき姫神山の山なだりひとすぢ立つは何の煙ぞ

月見草ほのかに咲きて蟲鳴けば陸奥としも思ほえぬかな

北上の川風さむみ吊橋の鶴飼橋をわたりけるかも

啄木のゐし學校の校舎見え古家並見え寒き村かも

白樺の林に鳴ける蜩のこゑは世に亡き友を思(も)はしむ

啄木と爭ひし日のおもひでも淋しく歌碑のまへにたたずむ

柳なほあれど人なしみちのくの北上川の岸邊かなしも

この石やいづこの山ゆ運び來てかなしき歌をかくは刻みし

『旅 塵』

   藤村先生を悼む

大比叡の影黒黒と見ゆる夜を藤村先生死にたまひけり

大磯の梅の林の奥ふかく眠りてもなほ生きさせたまへ

東方の門書きさして死にたまふみ心思(も)へば泣かれぬるかな

   東丸神社

天津社國津社のなかにありて親しと思ふ荷田社かも

春滿の住みし古家なつかしと門邊の白木槿の花

  筑紫曾遊

   予がはじめて筑紫に遊びしは、明治四十年の
   夏のことなりき、行を共にせるは、与謝野寛
   先生をはじめ、北原白秋、木下杢太郎の諸氏

香椎潟樹の間に見ゆる松山に友とうつせし古寫眞これ

天草の伴天連びとの址訪ふと友とい往きし海の旅かも

われ二十白秋は二十一にして渡りし海ぞ有明の海

長崎のくるすの堂のなかに立ちうつらうつらに何を思ひけむ

  仙崖和尚

   仙崖は博多聖福寺の禪僧、書畫ともに筆勢超
   脱にしておもしろし

仙崖の繪の貼り交ぜの古屏風見つつし居ればわが世樂しも

おのれ描(か)く繪のなかにしも飄然と仙崖和尚ゐたりけるかも

  信濃の紙

   わが友山崎斌君漉かしむるところの信濃の紙
   は、草木のおのづからなる韻ひありてよし

草木屋の主人(あるじ)漉かせし紙のいろ信濃の山のいろに似るかな

みすずかる信濃の紙のたふとさをおのづからなる清(すが)しさに見む

紙つくる信濃のひとは夜の空の月の光を戀ひつつぞ漉く

草木の汁もて染めし鈍(にび)いろの紙にか書かむさすらひの歌

  土佐を思ふ

貫之の土佐の海路の旅よりもはかなしと思(も)ひい往きしや何時

土佐の海なつかしと思ひ夜を寝(ぬ)ればとどろとどろと胸も鳴るめり

船にして室戸岬の燈臺の灯を見し旅も遠しと思へや

室戸山のぼりてゆけば海青く燈臺守は襁褓(むつき)干すらし

いまもなほ足摺崎の岩はなにかの日のごとく眠(ぬ)るや大龜

足摺のみ寺に通ふ遍路みち盡くるあたりの海を寂しむ

土佐を思(も)へど寂しきかなやわが友の伊野部酒麻呂すでに世に亡く

先達讃歌

  柿本人麻呂

人麿が筑紫の旅にうたひたる明石の門(と)はも明日かわが見む

  紫式部

いにしへの日本のよさや戀ふるらむ谷崎源氏我妹子(わぎもこ)も讀む

今日も讀む上東門院に仕へたるいみじきひとの書けるこの文(ふみ)

道長の榮華はもろく消(け)ぬれども紫式部の名はもほろびず

須磨明石源氏の君がさすらひのあとを戀(こほ)しみ旅せしもわれ

わが胸に殘るはいづれそのなかの夕顔の巻浮舟の巻

藤原の爲時の女(じよ)の才高き噂はいまの世にもつたふる

  西行法師

西行がこの世を棄てしこころをば山家集見てすがしみにけり

いやさらに己(し)が身の老を知るものか圓位法師の歌の寂しさ

西行が陸奥(みちのく)ゆきの旅姿在りし日のごと見るよしもがな

如月の十六日の西行の忌はなほさむし京のはづれは

  源實朝

大君に二心(にしん)あらじとうたひたる實朝を思ふこのごろや切

承久の春の朝(あした)の雪さむくあたら刺されし人をおもほゆ

實朝の歌おもひつつ箱根路をわが越えし日もいまは遥けし

白川の里居わびしみ夜ふかく金槐集の歌讀み耽(ふけ)

  俳諧寺一茶

俳諧寺一茶の一生(ひとよ)さびしやと思(も)ひつつゆきぬ信濃路の旅

この涙一茶がひとり寂しくも雀とあそぶ句より來るらし

句を讀みて泣かむか世をば怒らむか一茶はまこと寒く生きたり

人の世のいたましきことのみ書きし七番日記讀めばかなしも

いまもなほ人泣かしむる句をよみし彌太郎佛に何を手向けむ

『玄 冬』

  法隆寺

松蝉のこゑ暑うして砂しろき法隆寺道ゆくひともなし

法隆寺近づきぬれば吹く風もにほひ初めぬとわが友は言ふ

   菊の香や奈良には古き佛達」といへる、芭
   蕉の句を思ひつつ詠める

般若阪越えて芭蕉が奈良に入る姿思へばわびしきろかも

猿澤の池のほとりに一夜寢し芭蕉は知らずその死近きを

死にちかき奈良の旅路にしみじみと芭蕉の見しは何の佛ぞ

奈良に來て芭蕉思へばいまもなほ菊のにほひの身に染むらむか

   觀音院に上司海雲師を訪ひて、秋ふかき奈良
   のゆふべを、杯を中にしてしめやかに語る

古壺のかずかず据ゑてたのしげに海雲法師壺がたりする

みほとけの次ぎには壺をよろこべるわが海雲は壷法師かも

『短歌風土記 (大和の巻一)』

  五十鈴川

   昭和十八年十二月、伊勢の神宮に詣でて詠み
   ける歌

五十鈴川の水をし見れば清らなる思ひぞ湧き來あなやとばかり

かしこくも五十鈴の川のすがしさを阪十佛も書くにあらずや

うつそみの心に清き得むものと五十鈴の川の水をかつ見る

こころなく瀬ばしる鮠(はえ)の幾群もこの水にあれば清き魚かも

五十鈴川夢見ごこちに見てあれば水にも精のありと思(も)へらく

われ生きむ五十鈴の川の清らなる水のすがしさ心に持ちて

五十鈴川の清らの水の洗ふ石わが古靴に踏むはかしこし

  近江神宮

   昭和二十年一月、風寒き日を近江神宮に詣づ

かしこみて大化の昔を思ほへば寒きもよしや近江路の冬

いまさらに宮に詣でて言ふならね大化の御代はたたふべきかな

身はいつか大化の御代にあるここち近江の宮ををろがみにけり

わが祈りかなふしるしに今もかも近江の宮居鳴りもどよもせ

   昭和二十年二月、加賀路を過ぎて越中に入れ
   ば、雪いよいよ深くして、流離の感もそれと
   ともに深し

玻璃窓の曇りわびしく拭きにけり旅ごころもて雪を見るべく

耳につく高志(こし)の訛りの濁(だ)み聲もやうやく馴れて雪は深しも

さすらひの寒さ骨に染みぬ高志(こし)の如月雪降りに降り

『寒 行』

   高田保馬博士に

師はおなじ與謝野の大人(うし)と思(も)ふからに君の詠む歌旅にうべなふ

送り來し保馬博士の歌を讀みそぞろ戀しむ洛北の雪

『流離抄』

  酒しぼり

   昭和廿四年二月伊丹の町に白雪の酒藏をおと
   づれて詠める

白雪の酒藏の壁しらじらと伊丹古街練るによろしも

新しぼり琥珀のいろを見て思ふ酒の仙ともならばよけむと

白雪の慶長藏のしづけさのなかに茶禪の寂びをもとめむ

われ醉ひて白雪藏を遅れ出でおのれをまづ言ふ李白似かこれ

  虚子の句碑

虚子の句碑嵯峨野に建つといふこともわが京住みのうれしさとせむ

老いてなほ矍鑠として句行脚にゆく君見ればうれしもよ吾(あ)

  比叡遊行

比叡に來て遊行のこころ起りたり秋深くして鷽も鳴かぬに

横川へと曲りていつか見えずなりぬ比叡山法師足早にして

比叡薊花もすがれて風さむく詣で來るひともこのごろや稀

往き會ひし若き學生眉嶮し生死(しやうじ)なやみて比叡に來にけむ

かへり來てふと思ひ出づ山茶屋の牀几に食(は)みし柿の寒さを

  遍路ごころ

幾とせの土佐わびずみの寂しさを思ひ出づるも遍路ごころか

世のすがたいよよ嚴しく春來れど四國遍路もいまはなからむ

遍路みちをわれもむかしは往きにけり笈摺(おひずり)こそは背には負はねど

灌頂が濱邊に會ひし年老いし遍路の顔やいまもうかび來

足摺の岬へかよふ遍路みち老いて寂しく往かむ日もがな

  伊勢路の旅

   昭和二十五年四月下浣、里見ク、久保田萬太
   久米正雄、小島政二郎、今日出海の諸氏
   と、伊勢、伊賀、志摩のあたりを旅して詠め
   

旅鞄ひとつ手に提げ下り立ちぬむかし芭蕉の住みたる町に

芭蕉にも壽貞尼ありき末の世のわれにも妹のあるをとがむな

死にちかき旅とも知らず伊賀路ゆく芭蕉の姿いまも思ほゆ

うつそみの寂びにしたしむ老となり芭蕉の句境われももとむる

古事記傳の版木に殘る墨の香はなほ鈴の屋にゆけばにほふや

もの寂びし鈴の屋ごろもわれも着む伊勢路の旅のおもひでとして

明日に訪はむ伊勢の五十鈴の鈴の屋は醜(しこ)のしことやと翁言ふ家

鈴の屋の鈴の音いろのさやさやとさやけく晴れよ旅のあひだは

まこといま神の境にあるわれがいづかに目閉ぢ風の音聽く

  土佐のおもひで

大土佐の韮生の峡(かひ)にこもりゐし日も十數年まへとなりつる

酒麻呂忌去年(こぞ)は忘れて過ぎけるよ土佐を離れてすでに久しく

生きがたし縊(くび)れ死なむと思ひしも土佐にわび居の或る夜なりしよ

わが友の大あぐら居(ゐ)の爐端酒思ひ出でつつ土佐をこそ思へ

  金閣炎上

   昭和廿五年七月三日、鹿苑寺中の金閣炎上、
   痛恨に堪へず

將軍の好み高しと左千夫言ふその金閣も滅びけるかも

とりよろふ衣笠山は殘れども金閣はなしいまのこの世に

『形影抄』

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