旅のあれこれ文 学


久保田万太郎ゆかりの地

久保田万太郎の句

俳号はじめ暮雨。のち傘雨。

 明治22年(1889年)11月7日、浅草に生まれる。

 大正6年(1917年)2月、恋愛に失敗、磯部に旅をする。

 大正6年(1917年)、『藻花集』(久保田万太郎・大場惣太郎編)刊。

 大正11年(1922年)3月8日、久保田万太郎は新冨座見物で初めて芥川龍之介永井荷風に紹介する。

 大正12年(1923年)11月、日暮里渡辺町筑波台に移り住む。

 昭和2年(1927年)、『道芝』(芥川龍之介序)刊。

 昭和10年(1935年)11月16日、妻死去。

   昭和十年十一月十六日、妻死去

來る花も來る花も菊のみぞれつゝ

『草の丈』

 昭和21年(1946年)1月、俳誌「春燈」(久保田万太郎主宰)。

 昭和25年(1950年)4月、吉井勇は久保田万太郎等と伊勢路の旅をする。

 昭和27年(1952年)、『草の丈』刊。

 昭和28年(1958年)5月、四国に赴く。

 昭和32年(1957年)11月13日、久保田万太郎文化勲章受章祝賀会が伝法院で開催された。

 昭和33年(1958年)5月1日、三滝寺多宝塔落慶7周年記念に建立。久保田は除幕式に赴き句会を開催。

 昭和33年(1958年)11月、『流寓抄』上梓。

 昭和36年(1961年)3月、久保田万太郎は三滝寺を訪れる。

 昭和37年(1962年)4月、三滝寺の久保田万太郎賞俳句大会に出席。

 昭和38年(1963年)5月6日、73歳で永眠。8日、築地本願寺で通夜、9日、葬儀。

   五月六日久保田万太郎逝く

すぐ消えし訃報のテレビ蕗苦し

万太郎逝きて卯の花腐しかな

『酒中花』

久米正雄の句碑

磐梯熱海温泉(福島県郡山市)

温泉の町の磧に尽くる夜寒かな

磯部温泉(群馬県安中市)

両国高校

両国高校(東京都墨田区)

芋坂の団子さげたる賀客かな

羽二重団子(東京都荒川区)

崖ぞひのふみかためたる道夜長

田端文士村記念館(東京都北区)

この里におぼろふたたび濃きならむ

吉原神社(東京都台東区)

天狗坂夕木枯のおもいでに

待乳山聖天(東京都台東区)

伝法院

(東京都台東区)

浅草の茶の木ばたけの雪解かな

浅草寺(東京都台東区)

竹馬やいろはにほへとちりぢりに

浅草神社(東京都台東区)

神輿まつまのどぜう汁すゝりけり

駒形どぜう(東京都台東区)

ふるさとの月のつゆけさ仰ぎけり

雷門通り(東京都台東区)

東京に江戸のまことのしぐれかな

日本橋魚河岸跡(中央区日本橋)

海水館の碑

(東京都中央区)

湯島天神

(東京都文京区)

向島百花園〜中秋の観月会〜

(東京都墨田区)

『江東歳時記』〜深川不動尊で〜

(東京都江東区)

しぐるゝや大講堂の赤れんが

慶應義塾大學(東京都港区)

焦土かく風たちまちにかをりたる

三滝寺(広島県広島市)

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