上林温泉から国道292号(志賀草津道路)を行き、信州中野ICで上信越自動車道に入る。 |
妙光(高)山 雪ちるやきのふ出来たる湯[の]烟(けむり)
『七番日記』(文化14年10月) |
明治32年(1899年)、尾崎紅葉は赤倉温泉を訪れ、しばしば悩まされる喉の痛みを高原濃霧で癒したという。 明治37年(1904年)、「煙霞療養」刊。 |
大正10年(1921年)8月、与謝野鉄幹・晶子夫妻は赤倉温泉を訪れている。 |
観音の千手のやうにことごとくひとしき丈の赤倉の杉 赤倉の山少女ども淡いろの雲の中にて盆の蕎麦打つ 杉と云ふ山の木もまた明星も香岳楼の客におもねる
『草の夢』 |
大正13年(1924年)8月6日、与謝野晶子は夫の鉄幹とともに再び赤倉温泉に遊ぶ。 |
妙高の山のむらさき草に沁みたそがれ方となりにけるかな 赤倉の山より出づる雲ゆゑにおぼろげなりや北海の門
『心の遠景』 |
山霧は黒姫山の方より來山に愁ひのあればなるべし 赤倉の湯宿の窓ゆ入りきたる霧の白きも忘られぬかな
『故 園』 |
妙高山の山腹にある赤倉温泉は、尾崎紅葉の 「煙霞療養」に依りて世に知らる。予もその 風景の雄大なるを愛し、客となること數回。 山ごもりしづけくあらむ吾(あ)がために妙高おろし吹き止みたまへ。 朝空やいたも寒しと山みれば妙高は晴黒姫は雲 霧こめてまさ目に見えね遥けくも佐渡のあたりに心遊ばす いきどほりいささか持ちて妙高の山薄原ゆくが寂しさ
『旅 塵』 |
昭和12年(1937年)、大倉喜七郎は赤倉観光ホテル開業。 昭和14年(1939年)1月7日、橋本多佳子は雪上車で赤倉観光ホテルに着き、滞在。 |
ホテルあり鉄階を雪の地に降ろし ラヂエーター鳴りて樹氷の野が暁くる
『海燕』 |
昭和30年(1955年)8月、富安風生は赤倉観光ホテルに泊まっている。 |
赤倉観光ホテルに泊る 霧の扉の咫尺に着きて山ホテル
『古稀春風』 |