小倉百人一首の歌「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな」で知られる。 |
道長の榮華はもろく消(け)ぬれども紫式部の名はもほろびず 藤原の爲時の女(じよ)の才高き噂はいまの世にもつたふる
『玄 冬』 |
長徳2年(996年)、越前国司となった父藤原為時に従って武生の国府で過ごす。 長徳4年(998年)頃、山城守藤原宣孝と結婚。 長保元年(999年)、藤原賢子(大弐三位)を儲けた。 長保3年(1001年)4月15日、宣孝と死別。 |
世のはかなき事を歎く比、みちのくにに名ある ところどころ書きたる繪をみ侍りて |
紫式部
みし人の煙(けぶり)となりし夕べよりなぞむつまじき鹽がまのうら |
『紫式部日記』(寛弘5年(1008年)秋から寛弘7年(1010年)正月まで)がある。 |