大同元年(806年)、佐渡が京都の海上の鬼門にあたることから、王城鎮護の霊場として空海によって開かれたという。 |
文化7年(1810年)4月、亀田鵬斎は小木に着く。7月25日、小木より離島で110日間在島したそうだ。 |
大正13年(1924年)8月、与謝野晶子は夫の鉄幹とともに蓮華峰寺を訪れている。 |
都をば忘れんとする人もまた小比叡の山の名を撰びけり 蓮華峯寺龍女の美にも似る堂のひさしに描けり大井の川を
『心の遠景』 |
昭和7年(1932年)8月、荻原井泉水は蓮華峰寺を訪れている。 |
山に車とめて夏の萩さくみち(蓮華峰寺) ふるき御堂のよろしさ水引草を手にして 小さな窯はもちて青い葡萄の蔓 |
昭和8年(1933年)、吉井勇は蓮華峰寺を訪れている。 |
蓮華峰寺丹碧のいろいや古く離離たる草のいとほしきかな
『人間經』 |
大同年間空海の開けるところにして、小比叡 山といふ。寺堂多く燒失、今殘れるは金堂と 弘法堂とのみ。 空海のみ足の跡も殘るやと小比叡山路をなつかしみゆく 弘法の御堂はあれど山あさく三寶鳥も鳴かぬ寺かも 蓮華峰寺小比叡の山は秋草のしげれるなかに蟋蟀の鳴く 金堂の壁の胡粉の剥落も寂び極まればうつくしと見つ
『旅 塵』 |
昭和9年(1934年)11月、与謝野晶子は与謝野寛とともに佐渡を訪れている。 |