駒止湿原から国道289号で国道121号(会津西街道)に戻り、磐梯熱海温泉に向かう。 |
久米正雄は長野県上田で生まれたが、6歳の時に母の実家がある郡山に移っている。 |
久米正雄君の死をなげきて 京にひとり香くゆらせて歎きゐむ伊勢路の旅を思ひ出でつつ
「『形影抄』以後」 |
九州への旅中、久米三汀氏の訃を聞く 雪解くる音の大きく覚えたり |
昭和28年(1953年)、久保田万太郎は久米正雄の句碑除幕式に参列ている。 |
郡山に久米正雄の句碑除幕式に参列したる歸 途、岩代熱海にて 鯉の巣に東風の波よせそめしかな
『流寓抄』 |
昭和29年(1954年)10月20日、水原秋桜子は一力に泊まっている。 |
同日、岩代熱海温泉一力に泊る 庭の瀬にあまた魚跳ぶ若楓
『玄魚』 |
紅葉青山当面横一庭泉石 |
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自幽清晩来雲気圧檐角 |
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三尺近鱗躍有声 |
紅葉青山当面横(紅葉青山面に当って横たはる) |
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一庭泉石自幽清(一庭の泉石おのづから幽清) |
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晩来雲気圧檐角(晩来の雲気檐角を圧し) |
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三尺近鱗躍有声(三尺の金鱗踊って声あり) |
大正7年(1918年)、「一力旅館」創業。 大正9年(1920年)の秋、大町桂月は「一力旅館」に宿泊し、漢詩を揮毫。 |
一力ホテルへ戻つて、雨を眺めた。雲を眺めた。紅葉の山をながめた。池の鯉を眺めた。 紅葉青山当面横。一庭泉石自幽清。晩來雲気圧檐角。三尺金鱗躍有声。
「会津の山水」(磐梯山) |
園主の先代小口小四郎、遠近の園林を訪ねて想を構へ、匠を仙台より招き、指揮してこの庭を築き、園屋ともに成って業を創めしは大正7年なり。翌々9年、文豪大町桂月、来泊して詩あり。
大森志郎「水月園の記」 |
大正13年(1924年)、大町桂月は再び「一力旅館」を訪れている。 昭和42年(1967年)5月、「一力旅館」は創業50年を記念し、大町桂月の詩碑を庭園(水月園)の一角に建立。 |