私の旅日記2009年

西光寺〜碑巡り〜
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大石田町大石田に西光寺という寺がある。


時宗の寺である。

応永年間(1394〜1428)、創建。

仁王門


慶応3年(1867年)、造営。

仁王像と共に大石田町指定有形文化財である。

観音堂


本尊は聖観世音菩薩像。

明治5年(1872年)、再建。

観音堂の裏に高浜虚子の句碑があった。


夏山の襟を正して最上川

昭和31年(1956年)6月5日の句。

夏山の襟を正して最上川

白糸の滝も眺めや最上川>

      六月五日・六日 猿羽根峠。


天童を出て羽黒山に向つた。最上川の舟著場。子規はこゝから舟に乗つた。芭蕉もこゝから舟に乗つた。父はそのまゝ猿羽根(さばね)峠を越え、最上川に沿つて自動車を駆つた。最上峡で両岸に夏山の迫つてゐる所に出た。

『虚子一日一句』(星野立子編)

観音堂の奥に3つの句碑が並んでいた。


中央が芭蕉の新しい句碑。


さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川

元禄2年(1689年)5月29日、高野一栄亭で巻かれた歌仙の発句。

昭和50年(1975年)5月、建立。

左は李兮の句碑。


吹かるゝや骨となっても枯尾花

李兮は医師田中玄水、別号是々窟。

右は只狂の句碑。


只狂は大石田の俳人土屋作兵衛。別号暁華園。『もがみ川集』撰。

夜着重し桜や咲ん雨の音

古い芭蕉の句碑はガラスの中にあった。


芭蕉の句碑


さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川

明和年中(1764〜1772)に土屋只狂が芭蕉の真筆を模刻して建立。

昭和40年(1965年)、山口誓子は西光寺に句碑を訪ねている。

 「最上川のほとり一栄子宅におゐて興行」と結ばれている。芭蕉の泊った一栄の家が現在の板垣氏の家だ。

 さみだれのその発句は句碑になって西光寺に建っている。それを板垣氏と見に行く。

 歌仙の字を引伸ばしたのだ。

   さみ堂礼遠あつ免てすずしもがみ川

 一栄の家の裏は最上川であった。その家から、五月雨に水量増し、川幅の拡がった最上川を見ていると、いかにも涼しく思われるのだ。

 建立の年代は明和年間か。

『句碑をたずねて』(奥の細道)

一栄の句碑もあった。


岸にほたる繋ぐ舟杭

歌仙の脇句である。

さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川
     
芭蕉

岸にほたるを繋ぐ舟杭
     
一栄

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