芭蕉の句


山路来て何やらゆかしすみれ草

出典は『野ざらし紀行』

 貞享2年(1685年)、京都から大津に至る山路を越えて行く時に詠んだ句とされる。

   大津に出る道、山路をこ(へ)て

山路来て何やらゆかしすみれ草

『野ざらし紀行』



芭蕉が江戸に帰ってからの千那宛書簡がある。

貴墨辱拝見、御無事之由珍重奉存候。其元(そこもと)滞留之内得閑語候而、珍希覚申候。

一、愚句其元に而之句

  辛崎の松は花より朧にて

と御覚可下候。

  山路来て何やらゆかしすみれ草

其外五三句も有之候へ共、重而書付可申候。

千那宛書簡(貞亨2年5月12日)

『鵲尾冠』(越人編)には「箱根にて」と前書きがある。

 湖春曰、「菫は山によまず。芭蕉翁、徘(俳)諧に巧なりと云へども、歌学なきの過也」。去来曰、「山路に菫をよみたる証歌多し。湖春は地下の歌道者也。いかでかくは難じられけん、おぼつかなし」。


 大江匡房の歌に「はこね山薄紫のつぼ菫二しほ三しほたれか染めけむ」がある。

道の記の一躰。民語漸くかはるなどいへるにつけて、とみに東國のだみたる詞を一句にして、風流を發(ヲコ)されたるこそよき力艸成べけれ。箱根山にて、

   山路来て何やらゆかしすみれ屮

同記に、匡房のぬし、はこね山薄紫のつほすみれとよまれしは、すべてこゝもとにある、皆かの色なるはおかし。昔の人はかう萬にいたらぬくまなかりしか。


「山路来て」というごとく、自分の行動を第一句に据える書きかたは、芭蕉のもっとも好む書きかたであって、笈の小文の「くたびれて宿かるころや藤の花」から「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」にまで及んでいる。

荻原井泉水「わたくし文学」

 宮城県仙台市の大梅寺

 福島県本宮市の旧十三仏峠

 栃木県鹿沼市の大越路峠

 群馬県前橋市の赤城山大鳥居、桐生市の黒保根町下田沢

  八幡宮、長野原町の川原湯温泉

 埼玉県深谷市の民家、児玉の八幡神社

 東京都港区の善光寺

 千葉県香取市の県道55号線沿い、多古町の大師堂(芋大師)

 神奈川県箱根町の正眼寺

 静岡県伊豆市の天神社

 山梨県笛吹市の向昌院

 長野県高山村、小諸市の愛灯園、立科町の諏訪神社

  佐久市の路上、岡谷市の真秀寺

 福井県あわら市の船津公園

 岐阜県中津川市の旭ヶ岡公園、恵那市の浄光寺深萱神明神社

  可児市の可成寺

 愛知県春日井市の内々神社

 滋賀県湖南市の「ほほえみの水辺公園」

 香川県多度津町の海岸寺

 福岡県久留米市の八幡神社

 佐賀県鳥栖市の安生寺

 大分県大分市の火王宮長興寺に句碑がある。

大越路峠の句碑



赤城山大鳥居の句碑
   
黒保根町下田沢の句碑

   


八幡宮の句碑
   
川原湯温泉の句碑

   


深谷市の句碑
   
善光寺の句碑
   
大師堂(芋大師)の句碑

   

   


正眼寺の句碑



天神社の句碑



高山村の句碑
   
諏訪神社の句碑

   


岩下地区の路上の句碑
   
真秀寺の句碑

   


向昌院の句碑



船津公園の句碑



海岸寺の句碑



 初案は「何とはなしに何やら床し菫艸」で、貞享2年(1685年)3月27日、白鳥山法持寺歌仙興行の発句。

 桐葉の次女「佐与」が幼くして亡くなったことから、道端のすみれ草にその姿を重ねて詠んだものという。

何とはなしに何やら床し菫艸
   芭蕉

 編笠しきて蛙聴居る
   叩端

田螺わる賤の童のあたゝかに
   桐葉

 公家に宿かす竹の中みち
   芭蕉

 『三冊子』(土芳著)に「すみれ草」は初は「何となく何やら床し」と有。とある。

山路きて何やらゆかし菫草
   芭蕉

愛知県名古屋市の法持寺宮中学校に句碑がある。

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