昔むかし ある夕暮れ時、農婦がこの清水井戸で里芋を洗っていました。傍らを通りすがった旅の僧が、農婦が洗っていた里芋を無心したところ、農婦はこの里芋は石のように固くて、煮ても焼いても食べられないと断りました。 旅の僧は、念仏を唱えてこの場を立ち去り、さて農婦が里芋を家に持ち帰り鍋にかけて煮たところ、いくら煮立てても石のように固く食べられそうにも有りません。不祥、ふしぎに思った農婦は里芋を洗った井戸端に捨てたのでした。 このことを聞き、やがて旅僧が諸国行脚を続ける空海(弘法大師)であることを知った村人達は、清水井戸の傍らに小堂を建てて上人を祀りました。 翌年、煮ても焼いても捨てた里芋から青々と芽が出て(井戸の中央)村の畑の作物も良くとれ、村人達は仏罰をおそれ、仏威を感じ愈々信心を深めたそうです。以上がこの地に古くから伝わる石芋大師の由来です。 人間の強欲な心を戒めた伝説かと思われます、自分さえ良ければと言う風潮は現代人にも通じるものがあります。広い心、優しい思いやりの心をもち、私たちは、遠い昔の話をいつも心に留めて生きて行きたいものです。 |
貞享2年(1685年)、京都から大津に至る山路を越えて行く時に詠んだ句とされる。 |
草に水うつ巻草をこかしつゝ |
||||||
きみかつはさを二人して |
||||||
一つうらなふその人の |
||||||
なとあらさらんことの葉を |
||||||
くらへてもふすしめすとて |
||||||
はりはかけすも其まゝに |
||||||
此日の本に霞わたらし |
寛政8年(1796年)10月12日、寺作の土橋山東禅寺に二代飛鳥園一叟が建立。建立を記念して『菫塚集』が上梓された。 『諸国翁墳記』に「菫 塚 下総香取郡寺作村土橋山東禅寺境内ニ建 飛鳥園一叟」とある。 |
氷らぬは氷らて寒し水の音 | 二世一叟 |
夕暮は麦に声あれ鐘の雲 | 三世一叟 |