2013年岐 阜

旭ヶ丘公園〜碑巡り〜
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中津川市中津川の中山道沿いに旭ヶ丘公園がある。


旭ヶ丘公園には2基の芭蕉句碑をはじめ、多くの句碑や歌碑がある。

(3)芭蕉句碑(俗称すみれ塚)


山路来て何や羅遊かし寿み連草   はせを

松尾芭蕉の句、貞享2年(1685年)3月27日ころの吟、前書きに「京都より大津に出る道山路をこえて」と「甲子吟行、別名野ざらし紀行」にある句で、碑は大津出身の菅井家先祖が、ここから見た宿場のたたずまいが近似していることから、常にその情景を孫子に語り伝えてきました。

三代菅井嘉兵衛高伯(たかあき)のとき郷愁にふさわしいこの秀句を選び、安永2年(1773年)芭蕉八十回忌に父祖の慰霊を兼ね、中山道に面して建てられましたが、30年前に保護するため道筋からはずし、昭和53年(1978年)3月、昔の面影を残すため、この場所に移しました。

『諸国翁墳記』に「菫 塚 美濃中津川上金村在 八ツ橋菴建之」とある。

(5)馬風句碑


菊折てすててまた折る山路かな

馬風は、美濃以哉派中津川の四世宗匠の俳名で、旅篭田丸屋十代目の主、名を肥田九郎兵衛といい、中津川宿最後の庄屋を勤めたかたわら俳諧をよくし、門人も多く自らは平田門人になり、市岡殷政(しげまさ)門秀矩(ひでのり)らとともに水戸浪士横田元綱の首埋葬および東山道軍の先鋒隊にも加わり、明治13年(1880年)67歳で死去。雅言道光(みちてる)とおくり名され、その3年祭に当る明治15年(1882年)5月29日に馬風の三男菅井守之助馬良こと菅井蠖(かく)ら親族一同によって、この句碑が建てられました。なお馬風は「中津川にその人ありと知られた、小野三郎兵衛・・・」の名で小説『夜明け前』に登場しております。

(7)芭蕉句碑(俗称月塚)


三井寺の門敲はやけふの月   (碑陰左側)指月亭糸甘拝

松尾芭蕉の句 元禄4年(1691年)8月15日に近江の国義仲寺の無明庵にて、仲秋の名月を吟じた句であり、糸甘はもと上金台地にあった茶店「指月」にかかわりある女性らしく、その亭内に建てたものであろうと思われる。これも、大津を思い浮べて建てらた「すみれ塚」、三井寺観音と一連のもので、馬風句碑を建てた菅井馬良が園内の淋しさを補うために、明治15年「指月」への登り道の現在地へ移建したものです。

『諸国翁墳記』に「木賊塚 美濃中津川上金在 指月連」とある。

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