2011年愛 知

法持寺〜日本武尊〜
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名古屋市熱田区白鳥町に法持寺という寺がある。


法持寺山門


白鳥山法持寺


曹洞宗の寺である。

「白鳥山法持寺由緒沿革」より抜粋。

 天長年間(824年〜834年)に弘法大師が熱田神宮へ参籠したおり、日本武尊(やまとたけるのみこと)を慕い、自ら本尊延命地蔵菩薩を彫って小祠を建立したのが草創といわれている。白鳥御陵(日本武尊の陵)を鎮守とし、御陵の宝物を護持する寺であるところから、初め宝持寺と称していた。

 宝徳元年、開山の明谷義光大和尚は曹洞宗(禅宗)として再興し、熱田神宮大宮司千秋家代々の菩提所となった。

 承応年間に現在の寺号の法持寺と改称された。

 戦国時代、織田信長桶狭間合戦に向う途中、當寺へも立寄り、必勝を祈願したといい伝えられている。

 昭和20年5月17日に戦災を被り、本尊・開山像などを残し、2昼夜にわたって全山を焼失した。

 當寺は東海道を往還する文人墨客が足を留めており、芭蕉、林桐葉、若山牧水の歌碑が残っている。

 昭和32年より30年間、三保ヶ関部屋の宿舎となって名横綱北の海が誕生したなど、文化的にも名高い寺である。

芭蕉の句碑


何とはなしに何やら床しすみれ草

法持寺は林桐葉の菩提寺である。

 貞享2年(1685年)3月27日、芭蕉は法持寺で桐葉、叩端と「何とはなしに何やら床し菫艸」を発句とする歌仙巻く。

 桐葉の次女「佐与」が幼くして亡くなったことから、道端のすみれ草にその姿を重ねて詠んだものという。

 若山牧水は、明治41年(1908年)以後、法持寺(月笑軒)を数回訪れ、短歌会にも出席したそうだ。

宮中学校に牧水の歌碑がある。

山岡荘八の句碑


藪柑子霜立つ庭の媚びとなり

 徳川家康公も日本武尊を崇めて白鳥御陵に詣でた。『徳川家康』34巻の大書となった山岡荘八が祈願した折に作った句なり。

昭和17年(1942年)の晩秋であった。

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