石川啄木


『一握の砂』

明治42年(1909年)12月1日、『一握の砂』(東雲堂)刊行。

函館なる郁雨宮崎大四郎君
同国の友文学士花明金田一京助君

この集を両君に捧ぐ。予はすでに予のすべてを両君の前に示しつくしたるものの如し。従つて両君はここに歌はれたる歌の一一につきて最も多く知るの人なるを信ずればなり。

また一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆の手に渡したるは汝の生れたる朝なりき。この集の稿料は汝の薬餌となりたり。而してこの集の見本刷を予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。

著者

明治四十一年夏以後の作一千余首中より五百五十一首を抜きてこの集に収む。集中五章、感興の来由するところ相邇(ちか)きをたづねて仮にわかてるのみ。「秋風のこころよさに」は明治四十一年秋の紀念なり。

   我を愛する歌

東海の小島の磯の白砂に
われ泣なきぬれて
蟹とたはむる


砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日


大海にむかひて一人
七八日(ななやうか)
泣きなむとすと家を出でにき

大という字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり


こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ


浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出い来しさびしき心


わが恋を
はじめて友にうち明けし夜のことなど
思ひ出づる日


   煙

      一

病のごと
思郷(しきやう)のこころ湧く日なり
目にあをぞらの煙かなしも


      二

ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく


かにかくに渋民村は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川


ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな


   秋風のこころよさに

学校の図書庫(としよぐら)の裏の秋の草
黄なる花咲きし
今も名知らず


   忘れがたき人人

      一

潮かをる北の浜辺の
砂山のかの浜薔薇(はまなす)
今年も咲けるや


わがあとを追ひ来て
知れる人もなき
辺土に住みし母と妻かな


船に酔ひてやさしくなれる
いもうとの眼見ゆ
津軽の海を思へば


函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花


真夜中の
倶知安駅に下りゆきし
女の鬢の古き痍あと


しんとして幅広き街の
秋の夜の
玉蜀黍の焼くるにほひよ


石狩の美國といへる停車場の
柵に乾してありし
赤き布片(きれ)かな


かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ


あらそひて
いたく憎にくみて別れたる
友をなつかしく思ふ日も来きぬ


子を負ひて
雪の吹き入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな


敵として憎みし友と
やや長く手をば握りき
わかれといふに


乗合の砲兵士官の
剣の鞘
がちゃりと鳴るに思ひやぶれき

名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
宿屋安けし
我が家のごと

伴なりしかの代議士の
口あける青き寐顔を
かなしと思ひき

今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
泊りし宿屋の
茶のぬるさかな

水蒸気
列車の窓に花のごと凍てしを染むる
あかつきの色


しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな


こほりたるインクの罎を
火に翳かざし
涙ながれぬともしびの下もと

さいはての駅に下おり立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ入いりにき


顔とこゑ
それのみ昔に変らざる友にも会ひき
国の果はてにて


あはれかの国のはてにて
酒のみき
かなしみの滓(をり)を啜(すす)るごとくに

酒のめば悲しみ一時に湧わき来くるを
寐ねて夢みぬを
うれしとはせし


小奴(こやつこ)といひし女の
やはらかき
耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり


よりそひて
深夜の雪の中に立つ
女の右手(めて)のあたたかさかな


舞へといへば立ちて舞ひにき
おのづから
悪酒の酔ひにたふるるまでも

さらさらと氷の屑くづが
波に鳴る
磯の月夜のゆきかへりかな


神のごと
遠く姿をあらはせる
阿寒の山の雪のあけぼの

わが室(へや)に女泣きしを
小説のなかの事かと
おもひ出いづる日

浪淘沙(らうたうさ)
ながくも声をふるはせて
うたふがごとき旅なりしかな


      二

馬鈴薯ばれいしよの花咲く頃と
なれりけり
君もこの花を好きたまふらむ


京橋の滝山町の
新聞社
灯ともる頃のいそがしさかな


よく怒(いか)る人にてありしわが父の
日ごろ怒らず
怒れと思ふ


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