私の旅日記〜2013年〜
大間崎〜石川啄木の歌碑〜
本州最北端大間崎へ。
沖合600mの弁天島に大間埼灯台がある。
寛政5年(1792年)9月、菅江真澄は下北半島遊覧の日記『牧の朝露』に大間のことを記している。
享和元年(1801年)10月、伊能忠敬は下北半島に到着。終日の悪天候の中、大間町周辺の測量を行った。
文化7年(1810年)9月5日、松窓乙二は大間浜に到着。函館に行く船を待つ。
雲霧はれのく時は、手とゞくばかりにみゆれど、天とぶや雁を使にと願ひし人のごとく、せめてはこゝに我れありとつげんにも、せんすべなくて、
おもふにも波をしをりの月夜かな
ちなみに本州最南端の灯台は潮岬灯台である。
石川啄木の歌碑があった。
大海にむかひて一人
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七八日
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泣きなむとすと家を出でにき
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東海の小島の磯の白砂に
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われ泣きぬれて
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蟹とたはむる
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大といふ字を百あまり
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砂に書き
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死ぬことをやめて帰り来れり
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『一握の砂』収録の歌である。
安国丸戦死者忠霊塔
昭和20年7月14日午后2時36分、米海軍艦載機と交戦し激斗のすえ乗員135名の勇士、艦と共にこの海に眠る。
「まぐろ一本釣の町 おおま」のモニュメントがあったが、記念写真を撮る人が多く写真は撮らなかった。
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