このあたりは米町と呼ばれ明治8年に命名されました。江戸時代は「クスリ場所」の中心地で、漁業をひらいた商人の屋号「米屋」にちなむ町名です。 早くから商業が栄え、石炭輸送のトロッコが米町通りを走るなど、近代港湾ができるまで、釧路経済の中心でした。町並み形成はこの地域から始まり、神社仏閣や石碑などから当時の「米町」の歴史をしのぶことができます。 |
しらしらと氷かがやき |
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千鳥なく |
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釧路の海の冬の月かな |
啄木日記の明治41年(1908年)1月21日に「………九時半頃釧路に着。停車場から町許り、迎へに来た佐藤国司氏らと共に歩いて、幣舞橋といふを渡った。………」とあって、76日間の釧路生活が始まりました。啄木22才の時のことです。 この歌は歌集『一握の砂』に収められた1首であり、歌碑は啄木生誕50年を記念して昭和9年(1934年)に建立されました。知人岬の地は作家林芙美子の勧めにより選ばれたもので、釧路の啄木歌碑の中では最も古く、全国で6番目に立てられたものです。 |
明治42年(1909)3月、かねてよりの懸案であった釧路港修築予算が時の国会を通過しました。釧路市民の喜びは大きく、特に滋賀県(彦根藩)より移住した人々は、その年が元彦根藩主の大老井伊直弼が「桜田門外の変」で倒れてから50年目にあたっていたため、港の修築も大老の遺徳とし、この街がさらに発展することを夢見て、同年5月、故郷の琵琶湖になぞらえて春採湖畔にこの碑を立てました。 春採湖畔の碑は、昭和27年(1952年)の十勝沖地震で倒壊、破損しましたが、昭和39年(1964年)、港を一望するこの地に移築されました。 |
昭和7年(1932年)8月25日、斎藤茂吉は釧路に着く。 |
北國の釧路の町はともしびもあかあかとつきにぎはふところ ぬばたまの夜のくらきにとどろける釧路の濱もわが見つるかも |
昭和8年(1933年)8月23日、高浜虚子は川湯駅から汽車で釧路を訪れた。 |
釧路の宿屋に著いてから間もなく、釧路の町に出て見る。先づ一番に嚴神社の境内に行つて釧路港を俯瞰する。秋晴の港は一睥のうちに集る。一方には燈臺が見える。燈臺はあまり大きくないが、其傍に霧笛聳えているのが目につく。 轉じて魚河岸ともいふべきところに行つて見る。鮪を荷造りしてゐるところ、鮪船がついて、雜魚を肥料にするべく運んでゐるところなどを見る。壯觀。
「北海道一見」 |
バス来るや虹の立ちたる湖畔村 火の山の麓の湖に舟遊 昭和八年八月二十二日 阿寒湖。此夜、弟子屈、青木旅館泊。 燈台は低く霧笛は峙(そばだ)てり 昭和八年八月二十三日 釧路港。此夜、釧路港、近江屋泊。
『五百句』 |
明治、大正、昭和の日本俳句界に大きな足跡を遺した巨匠高濱虚子は昭和8年(1933年)8月23日この釧路を訪れた。 碑句は知人岬付近から眺めた北の港の厳しさとこれを守る燈台、霧笛への虚子独特の感懐を詠ったものである。一連の中には、 露領より歸りし船と鮪船 があり、ともに当時の釧路港の歴史、産業、風土、文化を今に伝えている。 ここに釧路港の発展を祈念しつつ、句碑を建立して、末永く顕彰することとした。
高濱虚子先生句碑建立期成会 |
昭和八年、虚子五十九歳の作である。旭川で行われた北日本ホトトギス大会に出席するために、八月十六日池内友次郎と星野立子を伴って北海道に旅立った虚子は、旭川、阿寒湖、屈斜路湖を廻り、二十三日釧路に到った。町の南端の知人岬に向かうと丘の上に真白な燈台があった。しかしその燈台は予期に反して背が低く、代わりに目を惹いたのが燈台に並んで屋根に据えつけられた大きな霧笛の装置であった。それは燈台よりも高く聳えていたのである。 「割合に低い燈台であつたが其傍に煙管の雁首の様なものが突立つていたのは珍しかつた」と虚子は書いている。 霧笛は霧が深い時に船舶や燈台がその位置を知らせるためにならす笛のことである。 釧路港は霧の深い港である。霧が降りると全く視界が効かず、燈台が用をなさない。そのために巨大な霧笛を据えつけているのである。果してその夜は深い霧であった。そんな中、街の上で彼の霧笛が鳴っていたという。 一句の背景として以上のようなことが分かっているので、この句を晝間見た実景であるとし、低い燈台と高い峙つ霧笛の装置を対比させたものと解釈する人も多い。それは「峙つ」の「高くそびえる」という字義にどうしてもとらわれるからであろう。 しかし私はこの句からどうしても霧笛の響きが燈台の光さえも通らぬ濃霧の中を低くどこまでも広がっていくイメージを持ってしまう。 |
露領より歸りし船と鮪船 屈強の裸の漁夫の汗光る 夜もすがら霧の港の人ゆきき 昭和八年八月二十三日 此の夜、釧路港、近江屋泊。 |
昭和25年(1950年)9月、富安風生は釧路を訪れ、啄木の歌碑を見ている。 |
啄木の歌碑は港をのぞむ丘の上にあり 狂ひ咲くたんぽぽを踏み長嘯す 啄木のむかしの人の秋袷
『晩涼』 |