2010年岩 手

岩手医科大学〜碑巡り〜
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盛岡市内丸に岩手医科大学がある。


岩手医科大学医学部の玄関脇に宮澤賢治の詩碑があった。



岩手病院

血のいろにゆがめる月は 今宵また桜をのぼり
患者たち廊のはづれに 凶事の兆を云へり
木がくれのあやなき闇を 声細くいゆきかへりて
熱植ゑし黒き綿羊 その姿いともあやしき
月しろは鉛糖のごと 柱列の廊をわたれば
コカインの白きかをりを いそがしくよぎる医師あり
しかもあれ春のをとめら なべて且つ耐えほゝゑみて
水銀の目盛を数へ 玲瓏の氷を割きぬ

1978年、岩手医科大学創立50周年

賢治の入院と初恋

 この詩は、宮沢賢治の入院生活の体験をもとにして作られた作品で、「文語詩稿」の中の1篇。碑は岩手医科大学創立50周年の記念として建立された。

 賢治が岩手病院(現岩手医科大学付属病院)に入院したのは、盛岡中学校(現盛岡第一高等学校)を卒業して間もない大正3年(1914年)4月のこと。 以前から悪かった鼻の手術を行ったが、高熱が続き発疹チフスの疑いも出たため、約1ヶ月の入院生活となった。その間、進学をめぐって父とのいさかい(賢治は盛岡高等農林学校への進学を希望し、父は家業(質・古着商)を継がせたかった。)ただでさえ気落ちする入院生活が、ますます陰鬱になっていった。窓の外に浮かんだ赤い月が血の色に見えたとしても不思議ではない。しかし、そのような入院生活の中で賢治が恋をした。相手は岩手病院の看護婦さんである。賢治にとっては忘れられない初恋の思い出であった。

 その他にも、この頃の将来への悩み、初恋の思いをつづった賢治の作品が残されている。

学校の志望は捨てん木々のみどり弱きまなこにしみるころかな
ぼろぼろに赤き咽喉してかなしくもまた病む父といさかふことか
今日もまたこの青白き沈黙の波にひたりてひとりかやめり
十秒の碧きひかりの去りたればかなしくわれはまた窓に向く

盛岡市・盛岡観光協会

中央通には岩手医科大学附属循環器医療センターがある。

盛岡中学校跡である。

循環器医療センターに啄木の歌碑があった。


学校の図書庫の裏の秋の草
黄なる花咲きし
今も名知らず

『一握の砂』収録の歌である。

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