2021年岩 手

金田一京助ゆかりの地〜下橋中学校〜
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新渡戸稲造生誕の地から中津川沿いを歩く。

盛岡市馬場町に下橋中学校がある。

文学のまち もりおか
金田一京助(1882〜1971)ゆかりの地(下橋中学校)

 金田一京助は明治15年(1882年)5月5日、岩手郡仁王村四ツ家町町33番戸(現:盛岡市本町通2丁目)に生まれた。盛岡高等小学校(現盛岡市立下橋中学校)から盛岡中学校、仙台の旧制第二高校、東京帝国大学文科へと進み、上田万年や新村出の講義に啓発され言語学科を選択し、さらにアイヌ語研究者不在を聞いてアイヌ語研究を志した。消滅寸前にあったアイヌ民族のユーカラを採録し、その解明と紹介に一生をささげた。その代表作『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』はアイヌ語の言語学的研究で高い評価を受けた。

 この他国語学の分野でも顕著な研究を行い、国語教科書、国語辞典の編纂等にも手腕を発揮した。それらの業績により昭和29年(1954年)には文化勲章を授与された。

 歌人石川啄木とは盛岡高等小学校以来の親友で生前の啄木一家を何くれとなく支援した。『一握の砂』は金田一京助と宮崎郁に献げられたものであった。啄木没後は歌人啄木の生涯について紹介につとめた。

 生前の金田一は故郷盛岡を愛してやまず、招かれて母校の下橋中学校を訪れて講演を行ったり、啄木歌碑の建設などでたびたび帰盛した。昭和34年(1959年)には、盛岡市周年を記念して設けられた盛岡市名誉市民第1号に推された。

盛岡市・盛岡市観光協会

下橋中学校に石川啄木の歌碑があった。


碑面を拡大。


その昔
小学校の
  柾屋根に
我が投げし
    鞠
いかにかなり
    けん

京助書

『一握の砂』の歌である。

昭和52年(1977年)秋、創立90周年を記念して建立されたそうだ。

下橋中学校の前に「石川啄木・若山牧水友情の歌碑」がある。

御厩橋へ。

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