私の旅日記〜2010年〜
天満宮〜碑巡り〜
盛岡市新庄町に天満宮がある。
天満宮
参道左手に芭蕉塚があった。
古池や蛙とびこむ水の音
出典は『蛙合』(仙化編)。
貞亨3年(1686年)春、深川芭蕉庵で詠まれた句。
芭蕉42歳の時である。
明和5年(1768年)4月12日、杉浦麻斤建立。
麻斤は雪中庵蓼太の門人と言われる。
芭蕉塚の台座は蛙。
左右に東花坊と幾暁庵の句が刻まれている。
右 梅花開一重に彌陀の彼岸哉
| 東花坊
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左 居らんとして烏の行衞かな
| 幾暁庵
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東花坊は各務支考。幾暁庵雲蝶は各務支考の門人。
志雪窓三白は「古池やかはす墳」の前で「懐舊の一會」を勤める。
爰に古人麻斤坊か建おきたる古池やかはす墳あるを幸と、今日たゝいまその碑前におゐて、懐舊の一會を勤ること、誠に風雅の冥加也。
芭蕉塚の側に小野素郷の句碑があった。
思無邪
梅開柳青めば夢もなし 松濤
弘化3年(1846年)、建立。
明治40年(1907年)2月12日、河東碧梧桐は素郷の碑について書いている。
後弘化三年四月二十九日孫久通等石を新城山芭蕉塚の側に建て、素郷平生得意の句(自書)を鐫(ほ)る。曰く、「思無邪、梅開柳青めば夢もなし」と其句集を「柴の戸」といふ云々
雪に埋もれるように狛犬があった。
松の風夜晝ひびきぬ
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夏木立中の社の石馬も
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人訪はぬ山の祠の
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汗する日なり
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石馬の耳に
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君をゆめみむ
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もとは地面にじかに据えられていたが、昭和8年、啄木の歌2首を刻んだ銅板をはめた台石に載せたという。
文芸雑誌『小天地』に発表した歌だそうだ。
天満宮社殿
社殿の下に啄木の歌碑があった。
病のごと
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思郷のこころ湧く日なり
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目にあおぞらの煙かなしも
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天満宮の啄木歌碑
石川啄木が眩しいばかりの青春時代を送った盛岡回顧の一連の短歌『一握の砂』)の冒頭に据えた「病のごと……」の歌碑が、盛岡啄木会の手でこのゆかりの深い天満宮の丘に建てられたのは昭和8年7月である。これは盛岡で最初の啄木歌碑であり、また風韻ある自然石に刻まれた碑面の文字は直筆から集字拡大したもりである。
なお、この天満宮境内は啄木がしばしば散策の杖をひいたところで、小説『葬列』にその委曲をつくして居り、啄木が可愛がった狛犬は、今も昔も変らぬ愛嬌のある顔を風雨にさらしている。この狛犬は高畑源次郎という人が明治38年に奉納したものである。
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