右 梅花開一重に彌陀の彼岸哉 | 東花坊 |
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左 居らんとして烏の行衞かな | 幾暁庵 |
爰に古人麻斤坊か建おきたる古池やかはす墳あるを幸と、今日たゝいまその碑前におゐて、懐舊の一會を勤ること、誠に風雅の冥加也。 |
後弘化三年四月二十九日孫久通等石を新城山芭蕉塚の側に建て、素郷平生得意の句(自書)を鐫(ほ)る。曰く、「思無邪、梅開柳青めば夢もなし」と其句集を「柴の戸」といふ云々 |
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松の風夜晝ひびきぬ |
夏木立中の社の石馬も | |
人訪はぬ山の祠の |
汗する日なり |
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石馬の耳に |
君をゆめみむ |
もとは地面にじかに据えられていたが、昭和8年、啄木の歌2首を刻んだ銅板をはめた台石に載せたという。 |
病のごと |
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思郷のこころ湧く日なり |
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目にあおぞらの煙かなしも |
石川啄木が眩しいばかりの青春時代を送った盛岡回顧の一連の短歌(『一握の砂』)の冒頭に据えた「病のごと……」の歌碑が、盛岡啄木会の手でこのゆかりの深い天満宮の丘に建てられたのは昭和8年7月である。これは盛岡で最初の啄木歌碑であり、また風韻ある自然石に刻まれた碑面の文字は直筆から集字拡大したもりである。
なお、この天満宮境内は啄木がしばしば散策の杖をひいたところで、小説『葬列』にその委曲をつくして居り、啄木が可愛がった狛犬は、今も昔も変らぬ愛嬌のある顔を風雨にさらしている。この狛犬は高畑源次郎という人が明治38年に奉納したものである。 |