
| 明治40年(1907年)4月11日、河東碧梧桐は旭川に着く。16日まで滞在したが「太陽を見なかった」という。 |
|
四月十一日。雨。 二番の汽車で午後四時旭川に着く。汽車は空知川に沿うて下るのであるが、沿道の駅ごとに、材木が山と積んであるのを見て、きょうの新聞に、各鉄道各駅に材木の集積すること約四十万石、これを運び出すのにその運輸ばかりにかかっておっても一年かかるとあったのを思い出す。材木の出るのはよいが、空知川の川沿いの山は処々大禿になったのがあった。この勢いですすむと、北海道の山が赤禿になるのも遠いことではあるまいなどと思う。 |
|
一月二十一日 於旭川
曇天。十時半岩見沢発。途中石狩川の雪に埋もれたのを見た。神居古譚で夏の景色を想像した。午后三時十五分当旭川下車、停車場前の宮越屋に投宿。旭川は小さい札幌だ。戸数六千、人口三万、街衢整然として幾百本の電柱の、一直線に並んでるのは気持がよい。北海旭新聞を訪問した。 |

|
明治41年(1908年)1月20日、石川啄木は釧路に向かう途中、知人との待ち合わせのため、旭川駅前の宮越屋旅館に投宿した。 旭川の地で啄木は、5首の歌を詠んでいる。 |
|
乗合の砲兵士官の 剣の鞘 がちゃりと鳴るに思ひやぶれき 名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の 宿屋安けし 我が家のごと 伴なりしかの代議士の 口あける青き寐顔を かなしと思ひき 今夜こそ思ふ存分泣いてみむと 泊りし宿屋の 茶のぬるさかな 水蒸気 列車の窓に花のごと凍てしを染むる あかつきの色
旭川市教育委員会 |
|
明治41年(1908年)1月21日午前6時半、石川啄木旭川発。午後9時半、釧路に着。 |
|
一月二十一日 於釧路
午前六時半、白石氏と共に釧路行一番の旭川発に乗った。程なくして、枯林の中から旭日が赤々と上った。空知川の岸に添うて上る。この辺がいわゆるもっとも北海道的な所だ。石狩十勝の国境を越えて、五分間を要する大トンネルを通ると、右の方一望幾百里、真にたとうるに辞(ことば)なき大景である。汽車はうねうねしたる路を下つて、午后三時半帯広町を通過、九時半この釧路に着。 |

| 大正15年(1926年)10月、若山牧水は斉藤劉を訪ねて旭川を訪れている。 |
|
遠山に初雪は見ゆ旭川まちのはづれのやちより見れば 旭川の野に霧こめて朝早し遠山嶺呂に雪は輝き
『黒松』 |
|
昭和7年(1932年)8月21日午後9時40分、斎藤茂吉稚内発、22日午前六時旭川着。 |
|
朝寒をあはれとおもひ吾汽車のしめし玻璃窓(はりど)に顔を寄せつつ
『石泉』 |
|
昭和50年(1975年)8月、西武百貨店旭川店開店。 平成27年(2015年)3月27日、イオンモール旭川駅前開業。 平成28年(2016年)9月30日、西武百貨店旭川店閉店。 |
