2017年北海道

本行寺〜啄木碑巡り〜
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米町公園から少し周辺の啄木碑巡りをする。

弥生宮本通の坂を上ると、三叉路の角に啄木の歌碑があった。


よりそひて
深夜の雪の中に立つ
女の右手(めて)のあたたかさかな

南大通7丁目に「佐野碑園」がある。

「喜望樓の跡」である。

喜望楼は和洋折衷の建物で釧路第一の料亭だった。

 明治41年(1908年)1月21日、石川啄木は釧路停車場に降りた。24日、喜望楼で啄木の歓迎会。

一月二十四日

 寒いこと話にならぬ。今日からまず三面の帳面をとる。日影君から五円をかりて、硯箱や何やかや買って、六時頃帰宿。社長の招待で編集四人に佐藤国司と町で一、二の料理店○コ喜望楼へ行った。芸者二人、小新に小玉、小新は社長年来の思い者であるという。編集上のこと何かと相談した。

『啄木日記』

「喜望樓の跡」に啄木の歌碑があった。


あはれかの国のはてにて
酒のみき
かなしみの滓をすするごとくに

平成3年(1991年)11月、建立。

本行寺に向かうと、米町弥生中通に啄木の歌碑があった。


出だしぬけの女の笑ひ
身に沁みき
厨に酒の凍る真夜中

平成3年(1991年)12月、建立。

以上3基は『一握の砂』収録の歌である。

弥生町に本行寺がある。


浄土真宗本願寺派の寺である。

啄木資料室(本堂内)

昭和61年開設。若き石川啄木が当寺でカルタ会に興じた因縁にちなみ「歌留多寺」と称し、啄木資料室を設ける。

本行寺山門の右手に啄木の歌碑があった。


一輪の赤き薔薇の花を見て
火の息すなる
唇をこそ思へ

啄木資料室


「本行寺の歌留多会へ衣川と二人で行って見たが、目がチラチラして居て、駄目であった。帰りに小奴に逢った。」

(啄木日記明治41年3月3日)

 啄木は、記者月例会や歌留多会が催された本行寺で、小菅まさえ、小奴、梅川操たちと出会った。

 啄木の遺品など一つも無い名前だけの『歌留多寺』に、せめて旧本堂の模型を造り、八十年前に遡ってみたい――この願いがかなった。

 本物そっくりな模型――その前に立つと、啄木やゆかりの人びとの哀歓の声が聞え、開教百余年の歴代住職・門徒の姿が見えてくる。

   平成元年四月十三日 啄木忌
   本行寺第五世 菅原弌也誌す

「旧本堂の模型」は撮らなかった。

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