旅のあれこれ文 学


森鴎外ゆかりの地

東 京 ・ 『青年』 ・ 『雁』

 文久2年(1862年)1月19日、島根県鹿足郡津和野町町田に生まれる。

 明治5年(1872年)、11歳の時に父静男に伴われて向島小梅村の津和野藩亀井家の屋敷内に上京。

 明治12年(1879年)、千住に転居。

 明治22年(1889年)3月9日、海軍中将赤松則良の長女登志子と結婚。

 明治23年(1890年)8月17日、森鴎外は山田温泉に向かう。「みちの記」

 明治25年(1892年)1月から文京区千駄木に住み、観潮楼と命名した。

 明治32年(1899年)6月、第十二師団の軍医部長を務める。

 明治35年(1902年)1月、佐賀県出身の元判事の長女荒木しげと再婚。

 明治40年(1907年)10月、陸軍軍医総監に昇進。

 明治41年(1908年)1月5日、森鴎外は琴平華壇「延寿閣」に泊まる。

 明治41年(1908年)5月2日、石川啄木与謝野鉄幹に連れられて観潮楼歌会に出席。

鴎外氏は、色の黒い、立派な体格の、髯の美しい、誰が見ても軍医総監とうなづかれる人であつた。


 明治43年( 1910年 )、慶應義塾大学の文学科顧問に就任。教授職に永井荷風を推薦、「三田文學」を創刊。

 明治43年( 1910年 )、雑誌『 スバ ル』5月号から小説『青年』の連載を始める。

 大正6年(1917年)12月、帝室博物館総長に任命される。

鴎外先生の書に接す。先生宮内省に入り帝室博物館総長に任ぜられてより而後全く文筆に遠ざかるべしとのことなり。何とも知れず悲しき心地して堪えがたし。

『斷腸亭日乘』(大正7年1月24日)

 大正8年(1919年)9月、市川團十郎の銅像建立。鴎外森林太郎撰、不折中村ニ太郎書。

 大正11年(1922年)7月9日、満60歳で没。弘福寺に葬る。

早朝より團子阪の邸に徃く。森先生は午前七時頃遂に\を屬せらる。悲しい哉。

『斷腸亭日乘』(大正11年7月9日)

 昭和2年(1927年)、禅林寺に墓が移される。

 昭和11年(1936年)4月18日、森志げは55歳で死亡。

善知鳥神社

善知鳥神社(青森県青森市)

芭蕉の句碑〜『伊沢蘭軒』〜

坂本宿(群馬県安中市)

山田温泉〜「みちの記」〜

(長野県上高井郡高山村)

油 屋〜「みちの記」〜

(長野県北佐久郡軽井沢町)

立場茶屋〜『伊沢蘭軒』〜

(長野県木曽郡上松町)

「鴎外の門」

奈良国立博物館(奈良県奈良市)

藩校養老館〜森鴎外遺言碑

(島根県鹿足郡津和野町)

森鴎外記念館〜森鴎外之像

(島根県鹿足郡津和野町)

森鴎外旧宅〜鴎外先生詩碑

(島根県鹿足郡津和野町)

西周旧居〜「ヰタ・セクスアリス」

(島根県鹿足郡津和野町)

琴平花壇

(香川県仲多度郡琴平町)

満潮に踊の足をあらひけり

松柏園ホテル(福岡県北九州市)

森鴎外京町住居跡碑

(福岡県北九州市)

森鴎外旧居〜森鴎外像

(福岡県北九州市)

森鴎外の文学碑

(福岡県北九州市)

旧陸軍第十二師団司令部の正門

(福岡県北九州市)

安国寺

(福岡県北九州市)

官営八幡製鐵所

(福岡県北九州市)

片江風致公園

(福岡県福岡市)

森鴎外記念碑

多賀町公園(福岡県直方市)

森鴎外文学

(福岡県飯塚市)

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