下 町台東区
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市川團十郎の銅像〜浅草寺駐車場〜

台東区浅草に浅草寺がある。

浅草寺北側の駐車場に市川團十郎の銅像があった。


大正8年(1919年)9月、建立。鴎外森林太郎撰、不折中村ニ太郎書。

オペラ館戸口には政府の御命令により三月卅一日限り謹んで休業仕候の貼紙を出したり。萬盛座はその中公園内にて代地を賜るまで一時休業といふ如き掲示をなす。昭和座三友館等は唯戸を閉せしのみ。觀音堂境内を過くるに團十郎の銅像今も猶在り。言問橋の通の大衆食堂には人々行列をなして五時過の開店を待つ。

『斷腸亭日乘』(昭和19年4月6日)

昭和19年(1944年)11月30日、金属類回収のため供出。

昭和61年(1986年)11月3日、再建。

九代目市川團十郎




 大正8年 江戸歌舞伎ゆかりの地 浅草の浅草寺境内に 劇聖と謳われた明治の名優九代目市川團十郎の歌舞伎十八番「暫」の銅像が作られました この銅像は 近代彫塑の先駆者新海竹太郎氏の傑作であり 歌舞伎の象徴として全國の人々から親しまれておりました ところが第二次世界大戦中の昭和19年11月30日金属類回収のため この「暫」の銅像も供出の命を受け 40余年を経てまいりました

 この度 十二代市川團十郎襲名を機に 復元の気運が高まり 浅草寺の御理解のもと 多くの方々に御尽力を賜り ここに「暫」の銅像が再現されました 十一代目並びに十二代市川團十郎父子 地元浅草及び松竹株式会社三者の永年の願いが叶えられたことになります

 こののちも 歌舞伎の隆盛とともに この「暫」の銅像が歌舞伎の象徴として 日本國民はもとより世界の人々からも 幾久しく愛されますことを願ってやみません

吝宇野信夫撰書

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