私の旅日記2011年

慶應義塾大學〜「文学の丘」〜

港区三田の慶應義塾大學(HP)三田キャンパスに行ってみた。


慶應義塾大學東門


 安政5年(1858年)、福澤諭吉は江戸築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内に蘭学塾を開く。

これが慶應義塾の起源とされる。

慶應4年(1868年)4月、塾を「慶應義塾」と命名。

慶應義塾図書館旧館


国の重要文化財である。

 この建物は義塾創立50周年を記念し明治45年4月、工学博士曽禰達蔵、工学士中條精一郎両氏の設計監督によって完成したもので、外国人の手を全く借りずに造られた洋風煉瓦館としては一級品である。震災、戦災による被害を修復し、今日なお当初遺構を留めている。煉瓦建築の少ない我が国にあって、建築史上貴重な存在である。

図書館旧館前に福澤諭吉の像があった。


図書館旧館横に通称「文学の丘」がある。

「文学の丘」に朝倉文夫の「小山内薫胸像」があった。


昭和3年(1928年)12月25日、小山内薫は48歳で急死。

昭和33年(1958年)12月25日、建立。

久保田万太郎の句碑


小山内先生をおもふ

しぐるゝや大講堂の赤れんが

昭和48年(1973年)5月、建立。

久保田万太郎東京淺草の生れ。三田に學んで永井荷風、小山内薫らを師とした。早く作歌として世に出て以来、獨自な文人として生涯渝(かわ)ることがなかった。晩年著作權の一切を母校に寄託し、忽焉として逝った。慶應義塾は記念基金を設けてその遺志を傳え、今、歿後十年を機としてして句碑を建てた。

2008年は慶應義塾創立150年。

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