この建物は義塾創立50周年を記念し明治45年4月、工学博士曽禰達蔵、工学士中條精一郎両氏の設計監督によって完成したもので、外国人の手を全く借りずに造られた洋風煉瓦館としては一級品である。震災、戦災による被害を修復し、今日なお当初遺構を留めている。煉瓦建築の少ない我が国にあって、建築史上貴重な存在である。
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大正8年(1919年)、与謝野寛は慶應義塾大学文学部教授に就任。
図書館旧館前に福澤諭吉の像があった。

昭和28年(1953年)、柴田佳石制作。
「独立自尊 一九五三佳石謹作」
昭和29年(1954年)1月10日、寄贈。
図書館旧館横に通称「文学の丘」がある。
「文学の丘」に朝倉文夫の「小山内薫胸像」があった。

昭和3年(1928年)12月25日、小山内薫は48歳で急死。
昭和33年(1958年)12月25日、建立。
久保田万太郎の句碑

小山内先生をおもふ
しぐるゝや大講堂の赤れんが
初出は『吾が俳諧』。『草の丈』に収録。
昭和48年(1973年)5月、建立。
久保田万太郎は東京淺草の生れ。三田に學んで永井荷風、小山内薫らを師とした。早く作歌として世に出て以来、獨自な文人として生涯渝(かわ)ることがなかった。晩年著作權の一切を母校に寄託し、忽焉として逝った。慶應義塾は記念基金を設けてその遺志を傳え、今、歿後十年を機としてして句碑を建てた。
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平成20年(2008年)は慶應義塾創立150年。
2011年〜東 京〜
