余ハ少年ノ時ヨリ老死ニ至ルマデ |
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一切ノ秘密無ク交際シタル友ハ |
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賀古鶴所君ナリコゝニ |
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死ニ臨ンデ賀古君ノ一筆ヲ煩ハス |
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死ハ一切ヲ打チ切ル重大事 |
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件ナリ奈何ナル官権(憲)威力ト |
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雖此ニ反抗スルヲ得ズト信ス |
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余ハ石見ノ人森林太郎トシテ |
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死セント欲ス宮内省陸軍省皆 |
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縁故アレドモ生死別分ルゝ瞬間 |
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アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス |
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森林太郎トシテ死セントス |
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墓ハ森林太郎墓ノ外一 |
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字モホル可ラズ書ハ中村不折ニ |
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委託シ宮内省陸軍省ノ栄典 |
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ハ絶対ニ取リヤメヲ請フ手続 |
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ソレゾレアルベシコレ唯一ノ友人ニ云 |
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ヒ残スモノニシテ何人ノ容喙ヲモ許 |
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サス 大正十一年七月六日 |
賀古鶴所 書 森林太郎 言 |
大正11年(1922年)7月9日、鴎外没。 大正11年(1922年)9月1日、関東大震災。 昭和2年(1927年)、向島の弘福寺から森家の墓地が移された。 昭和8年(1933年)6月11日、斎藤茂吉は森鴎外の墓に詣でる。 |
栗の花 六月十一日山口茂吉君と共に禅林寺なる森鴎外先生の墓に詣づ 栗の花香にたちて咲くひるさがり森鴎外先生のおくつきどころ 武藏野の小さき寺に君がみ墓うつされ來つつはや五とせか 禅林寺はまづしき寺とおもへどもあはれたふとし草木もひそけく 向島にみ墓のありしころよりもなべては親しわれも老いつつ |
我居所より程遠からぬ三鷹禪林寺内に、太宰治 氏の新墓あるを訪ふ。三句 春の愚者奇妙な賢者の墓を訪ふ 居しを忸怩と墓發つ鴉合歡の芽枝 南京豆墓前に噛み噛み未成年
『銀河依然』 |
昭和24年(1949年)7月15日、日本国有鉄道中央本線三鷹駅構内で起きた無人列車暴走事件である。 |