延喜の御代とやらん、善知鳥、悪鵆のいたく群れあさりて、浜田、浦田の早苗ふみしだき稲のみのらざりければ、国人うれへて都にうたへ申しかば、からしめ給ひて、その鳥のむくろを集て山とし、高く塚したりとも、あるは、鳥頭大納言藤原安方朝臣といふやんごとなき君の、いづれの御世になにのおかしありてか、さすらへおましましてこの浦にてかくれ給ふたるが、そのみたまの鳥となりて海にむれ磯に鳴てけるを、しか名によび、その君を斎ひ祀て鴆(うとう)大明神と唱ふなど、浦人の耳に残たる物語どものあり。今は棟方明神とあがめ奉る。
『率土か浜つたひ』(そとがはまづたい) |
寛政8年(1796年)1月19日、菅江真澄は善知鳥神社に詣でた。青森に20余日滞在。
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十九日 浜路ゆかばやと、安潟町に出でて善知鳥の宮にまうで、手酬せばやとて、よんでたいまつるうた。
うちなびくたむけのぬさもふりはへてかうがうしくも見ゆるみづ垣
『津可呂の奥』(つがろのおく) |
菅江真澄の歌碑があった。

寛政8年正月元日
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のどけしなそとがはまかぜ鳥すらも世をやすかたとうとう声して
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同 2月19日
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うちなびくたむけのぬさもふりはへてこうごうしくも見ゆるみず垣
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龍神宮

黄葉が美しい。
明治15年(1882年)10月5日、森鴎外は善知鳥神社に参詣しているそうだ。
明治40年(1907年)1月25日、河東碧梧桐は青森市中を散歩して善知鳥神社へ。
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一月二十五日。半晴。
午後青森へ行って山梔子、秋来二子の案内で市中を散歩した。善知鳥神社がある。安方町がある。謡曲「善知鳥」を思い出さざるを得ぬ。
(陸奥浅虫にて)
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昭和20年(1945年)7月、社殿は空襲で焼ける。
昭和29年(1954年)、富安風生は善知鳥神社を参拝し、社務所で増田手古奈らと句会。
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