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弘福寺〜森鴎外ゆかりの地〜

 森鴎外住居跡から桜橋通りを行き、国道6号(水戸街道)を越えて右に曲がると、長命寺の手前に弘福寺があった。


牛御前官の東に隣る。この辺を須崎といふ。旧(もと)洲崎に作る。黄檗派の禅室にして洛陽万福寺を摸(うつ)す。本尊は唐仏の釈迦如来、左右は迦葉・阿難なり。開山鉄牛和尚、延宝紀元癸丑創造す。毎歳七月十五日大施餓鬼修行あり。


   遊弘福寺

木犀や六尺四人唐めかす


遊弘福寺木犀や六尺四尺唐めかす   其角


弘福寺


弘福寺は黄檗宗の名刹。

隅田川七福神の布袋尊を祭る。

隅田川七福神は三囲神社、弘福寺、長命寺白髭神社向島百花園、多聞寺。

七福神なのに6つなのは三囲神社に恵比寿神と大国神を合祀しているから。

 大正11年(1922年)7月9日、森鴎外は満60歳で没。11日、通夜。12日、葬儀。

朝五時頃、電車の運轉するを待ち家に歸る。一睡の後谷中齋場に赴く。此日快晴凉風秋の如し。午後二時半葬儀終る。三河島にて荼毘に付しボク(サンズイ+「墨」)上の禪刹弘福寺に葬ると云。


 大正11年(1922年)8月9日、永井荷風は弘福寺に赴く。

曇りて風涼し。森夫子の逝かれし日なれば香華を手向けむとて向嶋弘福寺に赴く。門内の花屋にて墳墓を問ふに、墓標は遺骨と共に本堂に安置せられしまゝにて未墓地には移されずといふ。寺僧に請ひ遺(ママ)牌を拜して歸らむとせしが、思直して香華を森先生が先人の墓に供へてせめての心やりとなしぬ。


 大正13年(1924年)7月9日、永井荷風は弘福寺の焼跡を見る。

森先生の忌辰なれば日盛に家を出で向嶋に赴く。弘福寺燒跡は一面の花畑となり、孔雀草、千日草、天竺葵など今をさかりと咲亂れたり。堂宇再建の様子もなし。


昭和2年(1927年)、禅林寺に墓が移される。

建部涼袋の墓があるそうだ。

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