島崎藤村ゆかりの地

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海水館の碑

有楽町から有楽町線で月島へ。


「海水館の碑」がある。


所在地 中央区佃3丁目11−19。明治29年に完成した新佃島埋立地の一部。

ここに「海水館」があった。

 明治40年(1907年)9月、島崎藤村は『春』執筆の準備から連載を終えるまでの約1年を「海水館」で過ごした。

 碑は昭和43年(1978年)、明治学院大学の藤村研究部で建てられた。藤村研究部は今はないそうだ。

碑の裏には「春」執筆由来の記が書かれているようだが、よく読めない。

 大正2年(1913年)10月、吉井勇は「海水館」に寄宿した。

新佃わがたましひの傷つけば堪へがたきまで寂しきところ

人の世を厭ふこころのいや深く佃住居(すまゐ)も冬寂びにけり

硝子戸に額(ぬか)を寄すれば洲崎の海上總澪(みを)かけ夕みぞれせり

冬の海見ればかなしや新佃海水館はわび住みにして

『毒うつぎ』

 「海水館」で過ごした文人は島崎藤村ばかりではなく、久保田万太郎竹久夢二らがいる。

海が見えるかと思っていたが、堤防に遮られて見えなかった。

佃1丁目の佃公園には石川島灯台のモニュメントがある。


 慶応2年(1866年)、石川島人足寄場奉行清水純畸が石川島の灯台を築かせた。

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