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湯島天神〜筆 塚〜

東京メトロ千代田線湯島駅を出て、春日通り天神下から切通坂を上る。


小林一茶が湯島で詠んだ句がある。

   白日登湯台

三文が霞見にけり遠眼鏡

『寛政句帖』(寛政4年)

「湯台」は湯島台。「三文」で遠眼鏡が見られたようだ。

 文化4年(1809年)3月7日、小林一茶は春里、雨十と浅草を始め、江戸市中の寺社巡りをして、湯島を訪れている。

 七日 晴 春里、雨十と浅草巡。白金町、白幡イナリ、筋違相生橋、スルガ台太田姫神田[明]神、湯島、上野大石灯籠、寛永八年十月十七日佐久間大膳亮勝之トアリ。大良(郎)イナリ、七軒寺町東陽寺[手]向野アリ。

『文化句帖』(文化4年3月)

坂の途中に学問の神様湯島天神がある。

妻恋明神の北の方にあり。太田道灌江戸の静勝軒にありし頃(文明十年六月五日なり。)夢中に菅神に謁見す。翌朝(あくるあした)外より菅丞相親筆の画像を携へ来る者あり。乃ち夢中拝する所の尊容(みすがた)に彷彿たるを以つて、直ちに城外の北に祠堂を営み、かの神影を安置し、且梅樹数百株(ちゆう)を栽ゑ、美田等を附す。即ち当社これなり。(以上『諸社一覧』、『江戸名所記』等の書に出づるといへども、恐らくは誤りならん麹町平河天神に菅丞相親筆の画像と称するものありて、かへつて当社にこの影(えい)あることなしその論あれども爰に略す。)

『江戸名所図会』(湯島天満宮)

湯島天神


 御祭神は天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)と菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

 天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)は天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋に隠れた時、戸を開いて大神を連れ出した大力の神。

大正15年(1926年)7月12日、永井荷風は湯島天神に休む。

雨。午下に晴る。烏森より高架線にて上野に徃く。秋葉ケ原に停車場あり。之をアキハバラ驛と呼ぶ。鐵道省の役人には田舎漢多しと見えたり。高田の馬場もタカダと濁りて訓む。廣小路より湯島に登り、天神の境内額堂の旁に昔風の休茶屋ありしかば、澀茶を喫し、本郷通の古書肆を見歩き、日暮家に歸る。


梅まつりで人がいっぱい。

梅の写真は難しい。


「湯島の白梅」

湯島通れば 思い出す
お蔦主税の 心意気

昭和14年(1939年)9月7日、泉鏡花歿。

   昭和十四年九月七日午後二時四十分、泉鏡花
   先生逝去せらる

番町の銀杏殘暑わすれめや

『草の丈』

泉鏡花の「筆塚」


昭和17年(1942年)、里見惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって建てられた。

泉鏡花は「湯島の白梅」の原作である「婦系図」の作者。

湯島天神は森鴎外『雁』の主人公「岡田」の散歩道である。

 寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく。それから松源や雁鍋のある広小路、狭い賑やかな仲町を通って、湯島天神の社内に這入って、陰気な臭橘寺(からたちでら)の角を曲がって帰る。

森鴎外『雁』

湯島天神町は震災にも戦災にも遭わなかったようだ。

   湯島天神町といふところ、震災にも戰災にも
   逢はず、古き東京のおもかげをとゞむ。(二
   句)

みじか夜や焼けぬせうがの惣二階

さみだれや門をかまへず直ぐ格子

『流寓抄』

不忍池へ。

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