正岡子規の句碑
芋坂も団子も月のゆかりかな
文政2年(1819年)、「羽二重団子」創業。
団子の由来
江戸文化開花期の文化文政の頃、遙かな荒川の風光に恵まれたこの辺り日暮しの里は、音無川のせゝらぎと小粋な根岸の三味もきこえる塵外の小天地でありました。
文政2年、小店の初代庄五郎がこゝ音無川のほとり芋坂に「藤の木茶屋」を開業し、街道往来の人々に団子を供しておりました。
この団子がきめが細かくて羽二重のようだと称され、そのまゝ菓名となって、いつしか商号も「羽二重団子」となり、創業以来今も江戸の風味と面影を受け継いでおります。
創業期の「藤の木茶屋」から明治22年までの「羽二重団子」
店舗の脇に正岡子規の句碑がある。
芋坂も団子も月のゆかりかな
『寒山落木』(巻三)に「芋阪に名物の團子あり」とある。
上野の芋阪を下りた所に團子を賣る店があつて、芋阪の團子といつてこれは名物になつてゐた。子規の歿後毎年の子規忌に、遺族はその團子を大龍寺に持つて來られて集つた者に振舞はれることが習はしになつてゐたが、昨今はこの團子の店がなほ存續してゐるかどうか。
明治27年(1894年)、子規27歳の句である。
根岸名所ノ内
芋阪の團子屋寐たりけふの月
根岸雜詠ノ内
芋坂に芋を賣らず團子倍る小店
明治30年(1907年)、子規30歳の句。