2019年広 島

三滝寺〜碑巡り〜
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広島市西区の三滝山中腹に三滝寺(HP)という寺がある。

高野山真言宗の寺である。

中国三十三観音の第13番札所。

参道の右手に多宝塔がある。


 県重要文化財

三瀧寺多宝塔

 多宝塔は、円筒形の塔身に方形の屋根をかけた宝塔に裳階(屋根と同じ構造の一層の張り出し部分)をつけて重層にした仏塔の一形式です。平面の形が、下層は方形、上層は円形となり、上層下部の饅頭の形をした白い亀腹が基本的な特徴です。

 大永6年(1526年)の創建というこの塔は、和歌山県の広八幡神社の境内に建立されていたものを、原爆犠牲者供養のため昭和26年(1951年)に広島に移築したものです。

 なお、塔内には国指定重要文化財の木造阿弥陀如来坐像が安置されています。

広島県教育委員会
広島市教育委員会

多宝塔の右手に久保田万太郎の句碑があった。


焦土かく風たちまちにかをりたる

 昭和33年(1958年)5月1日、多宝塔落慶7周年記念に建立。久保田は除幕式に赴き句会を開催。

 昭和36年(1961年)3月、万太郎は三滝寺を訪れている。

 昭和37年(1962年)4月、万太郎は三滝寺の久保田万太郎賞俳句大会に出席。

   廣島三瀧觀音(二句)

こつねんと塔うかびたる霞

三瀧茶屋三瀧山莊霞かな

『流寓抄以後』

中村汀女の句碑


落花濃し三滝のお山父母恋へば

出典不詳。

参道を行くと、数多くの文学碑がある。

大木惇夫の詩碑があった。


   流離抄

この市(まち)やわれを追ひけり
そのかみにわれを追ひけど
二つなきこれやふるさと
かりそめに今日帰り来て
三篠川ひたにくだれば
赤々と夕日さすにも
わが旅の愁ひ新たに
落ち舟は留むるすべなし
水清く岸をひたして
柳絮(わた)しきりに飛ぶを
舟子(かこ)はただ煙草ふかして
こころなく揖(かぢ)をとるのみ
こころなく揖をとるのみ

明治28年(1895年)4月18日、大木惇夫は広島市に生まれる。
昭和13年(1938年)、詩集『冬刻詩集』刊。
昭和16年(1941年)12月8日、宣伝班の一員としてジャワ作戦に配属された。
昭和40年(1965年)、「流離抄」の詩碑建立。
昭和52年(1977年)7月19日、逝去。

尾上柴舟の歌碑


わかことくこえなつみつゝ
人やありしふみすへし
たり山かけのくさ

昭和43年(1968年)4月、建立。

歌人柴舟文学博士尾上八郎の歌。昭和6年の作。旅を愛して山路を行く作者をしのび、その名筆を石にきざむ。

丸山敏雄の歌碑


世をかへす
   おほきちからの
      みなきらふ
デルタ雪はれて
   いつくしま見ゆ

丸山敏雄は倫理研究所、しきなみ短歌会の創立者。

山本紀代子の歌碑


わが心つはなのわたのとぶ如く
はなち散らさむ光のなかに

補陀落の庭に梵音の滝(雄滝)があった。


本堂の脇に馬酔木が咲いていた。


本堂から見た権現堂


鎮守堂


権現堂、鎮守堂は観音堂、鐘楼、稲荷社とともに原爆にも耐えて残った建物である。

鎮守堂の前に幽明の滝(雌滝)がある。


参道を戻ると、空海(弘法大師)、親鸞聖人、道元禅師、日蓮聖人の各像があった。


その後ろに駒ヶ滝があった。


これで三滝である。

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