下 町荒川区
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諏方神社〜日暮里・谷中総鎮守〜

荒川区西日暮里に諏方神社(HP)がある。

諏方神社

 信濃国(長野県)上諏訪社と同じ健御名方命を祀る。当社の縁起によると、元久2年(1205年)、豊島左衛門尉経泰の造営と伝える。江戸時代、三代将軍徳川家光に社領5石を安堵され、日暮里・谷中の総鎮守として広く信仰をあつめた。

 旧暦7月27日の祭礼では、囃屋台・山車をひきまわし神輿渡御が行われた。神田芋洗橋までかつぎ、そこから船で浅草・隅田川を経て、荒木田の郷で御神酒をそなえて帰座したと伝えている。

 拝殿の脇には元禄12年(1699年)銘・元禄14年(1701年)銘の灯籠型の庚申塔が並んで建てられている。

荒川区教育委員会

社 殿


江戸・東京の農業 谷中シヨウガ

 諏方神社周辺(荒川区西日暮里2丁目、5丁目)は、かつて江戸時代からショウガの産地で、農家の人達は豊作の祈願に当社を訪れました。

 シヨウガは、保水力のある肥よくな土壌で栽培すると、柔らかく品質の良いものが穫れますが、この環境にぴったりの谷中で穫れるショウガはあまり辛くもなく、クリーム色の地下茎の節に赤味が入り美しく、スジも少なく味噌をつけて食べると、歯ざわりと風味が良く、江戸庶民の好んだ野菜の一つです。

 収穫時がちょうどお盆の時期にあたるため、商人や職人、谷中の寺社等が、お中元の贈答品に利用したため江戸中の評判になり、ショウガの特産地となりました。以来、「谷中」の名はショウガの代名詞となり、今でも粋な符丁として、市場や居酒屋等で呼ばれています。

 明治16年に上野と熊谷の間に鉄道が敷かれて急速に市街化が進み、大正末期には尾久、さらに荒川を渡って埼玉県へとショウガの産地は移って行きました。

 大正15年(1926年)6月、久保田万太郎は日暮里諏訪神社前に移る。

   大正十五年六月、日暮里諏訪神社まへにうつる。この家
   崖の上にて、庭廣く見晴しきはめてよし。

いたづらに大沓脱や秋の暮

『草の丈』

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