芭蕉の句
観音のいらかみやりつ花の雲
出典は『末若葉』(其角編)。
貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句。
芭蕉が病気で深川の芭蕉庵に寝ていた時に作ったという。
「かねは上野か浅艸か」と聞えし前の年の春吟也。尤(もつとも)病起の眺望成べし。一聯二句の格也。句ヲ呼テ句とす。
元禄10年(1697年)、『末若葉』刊。其角自序。
毘沙門堂の花盛、四天王の榮花もこれにはいかでまさるべき。うへなる黒谷、下河原、むかし遍昭僧正のうき世をいとひし花頂山、わしのみやまの花の色、枯にし鶴の林まで、思ひられてあはれ也。
『俳諧一葉集』の前書きは謡曲「西行桜」の一節。
観音のいらか見やりつはなの雲
此句の事、或集にキ角云「「鐘は上野か浅草か」と聞べし。前のとしの吟也。尤病起の眺望成べし。一聯二句の格也。句を呼て句とす」とあり。さもあるべし。
笹野観音の句碑
大聖寺の句碑
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浅草寺の句碑
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国道20号沿いの句碑
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北向観音堂の句碑
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野崎観音の句碑
『蕉翁句集』(土芳編)には「観音のいらか見やりつ花雲り」とある。
栃木県芳賀町の常珍寺に句碑がある。
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