芭蕉の句碑
観音の甍見やりつ花の雲
甲斐大和から国道20号を歩いて勝沼に向かう。
甲州市大和町鶴瀬の立合橋の測道を渡ると、「史跡 甲州道中 鶴瀬関所跡」の標柱があった。
甲州12関の1つ、この関は「鶴瀬の口留番所」といわれ主に物資の流通の 警戒と、「入鉄砲に出女」を取り締まった関所です。
国道20号に出ると、「甲州道中 鶴瀬宿」の標柱があった。
江戸より第31宿
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江戸へ30里27丁
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甲府へ5里1町
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宿高109石6斗7升5合、本陣1、脇本陣2
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旅籠屋4軒、問屋1軒、宿内家数58軒
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「鶴瀬地区」と書かれた石は甲州鞍馬石であろう。
甲州市大和町の鶴瀬・初鹿野地区は、古くから甲州鞍馬石の産地の産地として知られているそうだ。
甲州市大和町共和にある観音隧道の西側に「長垣の吊り橋」がある。
「長垣の吊り橋」は日川をこえ横吹と長垣を結んでいたが、現在は通行止め。
橋のたもとに芭蕉の句碑があった。
観音の甍見やりつ花の雲
出典は『末若葉』(其角編)。
貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句。
明治23年(1890年)9月、建立。
左側面に「松風に添ふ川音の時雨哉」の句が刻まれている。
一茶の句とされるが、一茶の句には見当たらない。
観音隧道の東側に観音山がある。
観音山に観音堂があった。
観音堂に明治29年(1896年)奉納の俳額があった。
明治20年(1887年)奉納の俳額もあるそうだが、気付かなかった。
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