「春になって雁が遠く北へ去るごとく、今自分はあなたにも別れ、江戸をめざして、故郷を立ち離れようとしている。今後あなたとはまさに『雲と隔つ』離れ離れの間柄となるであろう。しかしながら、これはあくまで仮の生き別れであって、秋になるとふたたび雁が訪れるように、また相逢う機会もあるでしょう」の意。
『毛吹草』に「帰雁友をしのぶ」とあって、これを心にした発想であろう。しかし、留別の情を帰雁に寄せたものとすると、寛文期の作風としては、かなり異質のものとなるようである。それで、この期の作とすれば、「雁の別れ」に「仮の別れ」の心がかくされているものと思う。したがって、「雁」はカリと読むべきなのであろう。
『芭蕉翁全伝』(宝暦十二年序・竹人著)に、「かくて蝉吟子の早世の後、寛文十二子の春二十九歳仕官を辞して甚七とあらため」という文につづいて出ている。『冬扇一路』(宝暦八年成・鳥酔編)・『芭蕉翁絵詞伝』(寛政五刊・蝶夢著)・『芭蕉翁正伝』(寛政十年刊・。竹二坊著)などには「雲とへだつ友かや雁の生き別れ」の形で出、短冊を隣家の城孫太夫の門の柱に残して出奔したよしを記す。かつ、『冬扇一路』には、「此真蹟は勢州亀山の城士何がしが手に渡り、今行方をしらすと。惜しむべし」と注記している。年次については、『冬扇一路』は三十歳とし、『絵詞伝』・『正伝』は寛文六年秋とするが、『全伝』に従うべきであろう。その他『奥の細道菅菰抄』・『もとの水』にも、「友かや」の句形で所出。後者には「遁世のとき」と前書がある。
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【俳句の庭】

野ざらしを心に風のしむ身かな
出典は『野ざらし紀行』。
貞亨元年(1684年)秋の作。季語は「身にしむ」である。『甲子吟行(野ざらし紀行)』の旅に出るとき、その出立にあたっての吟。紀行文の前文に「貞亨甲子秋八月江上の破屋を出づる程、風の聲そゞろ寒げ也」とあるように旅立ちへの悲愴感がよくあらわされた句である。
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古池や蛙とびこむ水の音
出典は『蛙合』(仙化編)。
貞享3年(1686年)春の作。季語は「蛙」。静かな春の日、さざ波もなく水の淀んだ古池の辺りはひっそりとして何の物音もしない。するとチャポンと蛙の飛びこむ水音によって静寂の世界に動きが与えられ、またもとの静寂にかえるという微妙な境地を捕えた代表作である。
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旅人と我名よばれん初しぐれ
出典は『笈の小文』。
貞亨4年(1687年)冬の作。季語は「初しぐれ」。『笈の小文』の最初にある句で、その旅に出立する前、其角亭で送別の句会があったときの吟。この句の前文に「神無月の初、空定めなきけしき身は風葉の行末なき心地して」とあるように旅への思いがこめられている。
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【展望広場】

俤や姨ひとり泣く月の友
出典は『更科紀行』。
元禄元年(1688年)秋の作。季語は「月」。姨捨山に来てみると山の姿も哀れに趣深く、月の光も美しく照り輝いている。その昔、この月を眺めて独り泣いていた姨の姿が浮かんできて何ともいえぬ物憂い気持ちであるが、今宵はその俤を偲んで月を友としようというのである。
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貞享5年9月30日、元禄に改元。

行春や鳥啼魚の目は泪
出典は『奥の細道』。
元禄2年(1689年)春の作。季語は「行く春」。『奥の細道』に出立するときの留別の句。春はもう過ぎようとしている。春の別れを惜しんで空には鳥が啼き、魚の目には泪が宿っている。今、親しい人々に別れて旅だつわが身には殊更に悲しみがわいてくるというのである。
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閑さや岩にしみ入る蝉の聲
出典は『奥の細道』。
元禄2年(1689年)夏の作。季語は「蝉」。『奥の細道』の旅で、山形の立石寺詣でた時の吟。辺りはひっそりとして何の音も聞こえてこない。ふと耳をすますと、どこからともなく蝉の聲静かにじっときこえてくる。その聲が山寺の山塊にしみ込んでゆくように思われる。
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此秋は何で年よる雲に鳥
出典は『笈日記』(難波部)。
元禄7年(1694年)秋の作。季語は「秋」。今年もまた旅の空で日を送っているが、どういうわけかこの秋は何となく年が寄ったような身の衰えを感じている。そんな気持ちで空遠く流れて行く雲、その間を飛んでいる鳥にも我が身の上と似た心細さが感じられる。
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【観察の園】

行秋や手をひろげたる栗のいが
出典は『続猿蓑』。
元禄7年(1694年)秋の作。季語は「行秋」。秋もいよいよ終わりに近づき、栗のいががはじけて実を落としてしまい、そのいがはちょうど手を拡げたようになって枝にのこっている。それがいかにも秋の行くのをちょっと待ったというふうに見えて寂しい思いがする。
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水芭蕉が咲いていた。

この先の【俳句の森】には「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句碑があったようだが、行かなかった。
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後日、あらためて写真を撮りに行った。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
出典は『笈日記』(支考編)
元禄7年(1694年)冬、病中の吟。季語は枯野。これから筑紫の方に旅しようと希望を抱いて出てきた道中で病に臥す身となった。しかし眠っている間も、なお寒ざむとした枯野のなかをとぼとぼと歩きつづける夢をみることである。この吟をのこして芭蕉は51歳の生涯を閉じた。
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白い花が咲いていた。

一人静のようでもあるが。
「ふるさと芭蕉の森公園」に稲畑汀子の句碑があったようだ。
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