蕉 門
越智越人
『鵲尾冠』
芭蕉十哲の一人。名古屋で染物屋を営む。別号、負山子。
私は越路の者に候間、名も越人と申候。壯年に及ぶ比より故郷を出、流浪仕リ、貧乏にて學文など申事不レ存、
貞享4年(1687年)、11月10日、芭蕉は『笈の小文』の途次越人を伴い吉田に泊まり、保美(渥美町)に杜国を訪れる。
三川の国保美といふ処に、杜国がしのびて有けるをとぶらはむと、まづ越人に消息して、鳴海より跡(後)ざまに二十五里尋かへりて、其夜吉田に泊る。
田原市の潮音寺に三吟句碑がある。
麦はえて能隠家や畑村
| 芭蕉
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冬をさかりに椿咲く也
| 越人
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昼の空のみかむ犬のねかへりて
| 野仁
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貞亨4年(1687年)11月26日、荷兮宅で連句。落梧は芭蕉を岐阜に招いた。
同じ月末の五日の日名古やの荷兮宅へ行たまひぬ。同二十六日岐阜の落梧といへる者、我宿をまねかん事を願ひて
凩のさむさかさねよ稲葉山
| 落梧
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よき家続く雪の見どころ
| ばせを
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鵙の居る里の垣根に餌をさして
| 荷兮
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黍の折レ合道ほそき也
| 越人
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貞亨5年(1688年)6月19日、芭蕉は荷兮・越人・落梧らと岐阜で連句興行。
貞享三(五)戌辰林鐘十九日
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於岐阜興行
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蓮池の中に藻の花まじりけり
| 芦文
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水おもしろく見ゆるかるの子
| 荷兮
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さゞ波やけふは火とぼす暮待て
| 芭蕉
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肝のつぶるゝ月の大きさ
| 越人
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苅萱に道つけ人の通るほど
| 惟然
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鹿うつ小屋の昼はさびしき
| 炊玉
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真鉄ふくけぶりは空に細々と
| 落梧
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かし立岨の風のよめふり
| 蕉笠
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貞亨5年(1688年)7月20日、芭蕉は荷兮、越人と共に竹葉軒長虹和尚を訪れて歌仙興行。
粟稗にとぼしくもあらず草の庵
| 翁
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藪の中より見ゆる青柿
| 長虹
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秋の雨歩行鵜に出る暮かけて
| 荷兮
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月なき岨をまがる山あい
| 一井
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ひだるしと人の申ばひだるさよ
| 越人
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藁もちよりて屋根葺にけり
| 胡及
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更科の里、姥捨山の月見んこと、しきりにすすむる秋風の心に吹きさわぎて、ともに風雲の情をくるはすもの、またひとり、越人といふ。
長楽寺の越智越人随行塚
江戸に帰り、越人と両吟の俳諧。
深川の夜
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厂がねもしづかに聞けばからびずや
| 越人
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酒しゐならふこの比の月
| 芭蕉
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享保2年(1716年)、『鵲尾冠』板行。
享保13年(1728年)10月、『庭竈集』刊。
享保14年(1729年)11月、『猫の耳』刊。
越人の句
さらしなには翁の句のみ吟了して
霧はれて梯は目も塞がれず
吹風に唇うるむ木槿かな
別 僧
ちる時は心やすさよ芥の花
酒落堂にて
露萩もおるゝ斗(ばかり)に轡虫
君か代や筑广(麻)祀も鍋ひとつ
首だけや岡の華見る蚫とり
須磨・あかしに三夜を賞して
名月の向ふ棧敷や須磨あかし
暁をむつかしそふに啼蛙
うらやましおもひ切時猫の恋
行としや親に白髪を隠しけり
ちからなや麻苅あとの秋の風
ちからなや麻刈あとの秋の風
さらしなやみよさの月見雲もなし
花にうすもれて夢より直に死ん哉
七夕よものかすこともなきむかし
夕月や杖に水なぶるすみだ川
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