芭蕉の句碑
粟稗に貧しくもあら須艸の庵
名古屋市北区清水に解脱寺という寺がある。
解脱寺
臨済宗妙心寺派の寺である。
貞亨5年(1688年)7月20日、芭蕉は荷兮、越人と共に竹葉軒長虹和尚を訪れて歌仙興行。
粟稗にとぼしくもあらず草の庵
| 翁
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藪の中より見ゆる青柿
| 長虹
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秋の雨歩行鵜に出る暮かけて
| 荷兮
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月なき岨をまがる山あい
| 一井
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ひだるしと人の申ばひだるさよ
| 越人
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藁もちよりて屋根葺にけり
| 胡及
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長虹は「竹夭」と号し、薬師堂を改築して「竹夭庵」と号した。
竹夭庵薬師如来
左側面に「はせを翁遺跡」と刻まれている。
宝永6年(1709年)、「竹夭庵」は解脱寺と改めた。
本堂手前右手に芭蕉の句碑があった。
粟稗に貧しくもあら須艸の庵
出典は『芭蕉翁發句集』。「杉の竹葉軒といふ庵を尋ねて」と前書きがある。
文政5年(1822年)10月、建立。
句碑は戦災に遭い、碑陰の建立者名が剥がれ落ちてしまった。
昭和29年(1954年)7月20日、竹葉社副碑建立。
副碑にその名が刻まれている。
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